おかざき登"図書館迷宮と断章の姫君"

"「バカタレ。お前だって、人化した時点で人間なんだよ。編入したときに日本国民として登録されてるんだ。お前にだって好きなように生きる権利があるんだ」"
(三巻、148p)

 この言葉が日本という社会とイクミちゃんとが縁や繋がりを持っていることを言っているものであることはもちろんだけれども、じゃあ国民として登録されてなかったらどうなんだ、と突っ込みはあるわけでね。それはつまりは、逆説的な話ではあるけれども、理屈なんてのはどうでもいいのだ、ということでもあるのだろう。既にイクミちゃんが受け入れられているという事実が先にあって、それに対して「日本」だのなんだのといった言葉が後から被せられているだけなのであって。更に言えばそこで「理屈なんてどうでもいい」という理屈を言わない辺りが特に爽やかだなあと思うところでね。くどさのない、さっぱりした現実主義的な態度が好ましい。

"「忠誠とは、愛! 忠誠とは、女の歓び!」"
(三巻、206p)

 愛! 刃紋ちゃんの盲滅法な一途さは、別に何かそういうの止めなさいと説教されるわけでもなく、といって別段ポジティブに受け取られるわけでもなく、フツーに流されてるというか、単にそういうもんとして扱われる。そういうところもすごく好き。冴香さんにしたところで、自分達にとって迷惑だから倒す、という以上の話ではないわけで。他にも、自分の愚かさなんかについても、ことさら「受け入れる」「乗り越える」わけでもなく、ただベタに付き合っていく、そんな感じの付き合い方で。



 そうした、ある種大雑把な/ある種懐の深い感性というか感覚というかの中に、刻馬くん、イクミちゃん、美々子ちゃん、刃紋ちゃんの暮らしはあるように思う。

"「俺はなんだかんだいって、今の賑やかな生活が気に入ってるんだ。ふとした瞬間に誰かの息遣いが感じられるこの生活は、少々うるさすぎるところはあるが、とても楽しくてホッとする。俺はこの生活を手放す気はない。だから――」"
(三巻、101p)

"ふとした瞬間に、誰かの息遣いが"。ほんとそんな感じで、手を繋ぐとかいうこととは少しずれて、息遣いというなまなましさで、空気を介して触れているような、そんな距離感があるように思う。

 クラスメイトの声なども折にふれて描いてる辺りもよくて、刻馬くんの周囲は別に閉じたハーレム空間みたいな空間ではないのであって、例えばウィーゼルさんだのイオちゃんだのがお風呂に入ったり茶化したり、あるいはもちろん誠十郎くんが素で参加したりするわけで。
 一緒に風呂入ったりそこで真剣な話したり、イクミちゃんが美々子ちゃんの胸を揉んだり、同じ釜の飯を食べたり。それは別に何かしらの確固たる意味を付加されるわけではないし、九条家が一つの共同体かなにかであるわけでもない。
 ただそれがささやかなぬくもりであるというだけのこと。


"(…)イクミは砂のように崩れた『断章』の残骸がベッドの上に散乱していることに気がついた。
「うあ……」
困ったようにしばし逡巡した末にイクミは立ち上がって、
「美々子ー、美々子ー」
と、頼れる苦情家のメイドの名を呼びながら部屋を出たのだった。"
(三巻、126,8p)

 この辺もとても好き。同じ家に住んでいる、というのはそういうことであって、部屋を出て名前を呼ぶと相手に声が届く/そんな風に声をかけると相手がちゃんとその声を聞きつけてくれる(用意がある)、という距離感が、つまりは先程述べた"ふとした瞬間に相手の息遣いが"という空気なのでしょう。