With Ribbon(3)

 ところで、翔太郎くんと華澄さんの間に敬語が抜けないのは最初の方からなんだか気になっていたところ。いや、敬語だから仲が悪いとかそういう内心の距離感の話じゃなくて、言葉の使い方によって規定される形式的な距離感の話で。子供の頃から仲がいいなら、その延長線上でずっと敬語なしでやってきててもいいみたいなもんだけど、実際のところは翔太郎くんと華澄さんは敬語で会話し合うわけでね。
 それは、例えば華澄さんがそういう敬語で話そうとする/敬語で話したくなるタイプの人であるからというのもあるんだろうけど、それだけでは無いように思える。


 例えば、少なくともいわゆる物語の開始時点では、学校の中での翔太郎くんと槇喜屋姉妹の間には余り付き合いがあるようには見えない。別に幼馴染であることをことさら隠しているわけでもないんだけど、ただ単に大した交流がない、というように。敬語のことも考えるとそれはつまりさ、翔太郎くんと姉妹の関係が、ある種、日向家の両親と槇喜屋家の両親が仲が良くて家族ぐるみの付き合いをしている、ということに寄りかかった付き合いであるからなのではないかな、と思うの。これは翔太郎くんと姉妹が内心お互いをどう思っているかということとは全然別の問題の、社会的な形式の問題で。
 社会の中で生きてる限り、一般には人と仲良さげに付き合うにはそうするための言い訳が必要でさ。例えば「相手が個人的な友人だから」ってのも理由の一つだし、「家族ぐるみの付き合いがあるから」ってのもその一つ。そこで、後者に比重がよっているのが、翔太郎くんと槇喜屋姉妹の関係ではないかなあと。繰り返すけど、相手のことを内心でどう思っているかということとは別の問題としてね。
 翔太郎くんと槇喜屋姉妹はお互いに好意を持っているのだけれど、そのことの社会的な表現として、「個人的友人である」ことではなくて、「家族ぐるみの付き合いである」ということが選ばれている。だからこそ、学校での付き合いは少なくて、お互い敬語で話していて、そして、にもかかわらずお互い仲がいいという状態が成立する、と。

 翔太郎くん達が例えば高校生で子供生んじゃったとして、その後大丈夫なのかなあ、とちょっと考えたんだけどね。久遠さん他子育て支援は豊富だし、就職とかにしても槇喜屋さん家のコネがあるし翔太郎くんは要領いいから大丈夫だね、という結論に達した。
 でもさ、コネ、なんてことを言い出せるのは、翔太郎くんと槇喜屋姉妹の関係が単に個人的な愛情友情だけでつながっているのではなくて、家族ぐるみの関係だからこそ可能なことなんだと思う。コネってのはある意味「不純」なものでもあって、個人的愛情友情とは対立することもあるんだけど、家族ぐるみの関係ならば問題ないのでね。



 んでちょっと話は変わるけど、日向女子寮とか、一緒に住むこととかについて、沙蘭さんルートのラストの方を引きつつ。いやこの辺好きなんですよね。


 沙蘭さんルートの最後の方において、他のルートでもそうなんだけど、陽奈ちゃんや槇喜屋姉妹は、それぞれの家に帰っていく。

"華澄「久遠さん、長いことお世話になりました。妹ともども、本当にご迷惑をおかけして、すみませんでした」
久遠「いいのよ、また、いつでも遊びにいらっしゃい。いつまでもこの家は、あなたたちの家よ?」"

"はるか「……お二人と暮らしたこと、ずっと忘れません。楽しかったです!」
澄香「当然よ。そしてあたしたちも忘れないわ」
はるかと俺は、遠ざかっていくクルマを見送った。
母さんは玄関先で別れた。ああいう性格をしていても、実は人一倍さびしがり屋だからだ。
はるか「急に帰ってしまいましたね……皆さん」
翔太郎「仕方ないよな。みんなにはそれぞれ家族がいて、自分の家があるんだ」
「俺たちだって、そうだろう?」
はるか「ええ……」"

 久遠さんはこの家はあなた達の家よ、って言うわけだけれども、それは日向家があなた達の家族だよ、という意味ではないだろう。翔太郎くんの言うよう、「みんなにはそれぞれ自分の家がある」。だからこそこれからは、もし華澄さん達が日向家に来るとすれば、それは「遊びに来る」形になる。身体的な距離の近さと、社会的関係の上での距離の近さは違って、日向女子寮における皆の間にある距離は、前者はやたら近いんだけれども、後者はそれなりに遠いこともある。陽奈ちゃんにも槇喜屋姉妹にも「家族」と言える存在が居て、お互い愛し合っているし、それは久遠さんと陽奈ちゃん・槇喜屋姉妹との関係とは多分違う。

 例えばさ、翔太郎くんとその恋人とはるかちゃんが「家族」だって言う時、それは、何故かは知らないけど通じ合ってしまうような/なんか似てるねって感じてしまうような何かとして把握されてたりする。それは、お互いがお互いをただただ好きであるという関係を、完全グラフみたいにして結ぶことで作られるようなかたちなんじゃないかなと思う。

 でさ、逆に、日向女子寮における皆の関係ってのはね、もっと緩くて、隙間の多いものなんだと思う。それは例えば、夏の夜に車に乗って去っていく姉妹を見送るときに思う距離感であって、日が落ちて、外の湿った空気を感じて、そこにはいっぱいに手を伸ばしても全部をつかめるわけではない世界がある。いくら皆が去っていって寂しくても、皆には自分の家族があるんだから、と。
 そうした茫漠たる色んなものへと開かれた空間として日向さんちの家ってのはあるんじゃないかなと思う。実際日向家のリビングの背景絵を見ていると、右側が外へとつながる窓であって、キッチンのダイニングテーブルにしても右に向かって空間は開いていて、同時に左側は廊下へと繋がるドアであって、そこは何かこう、いろんなものごとを繋ぐ空間であるようにも見えてくる。


 陽奈ちゃんが日向家でいつも過ごしていたのも、陽奈ちゃんが日向家の子供だからではなくて、翔太郎くんとすごく仲のいい幼なじみだったからなわけでね。だからこそ、それが変われば、陽奈ちゃんが日向家に入り浸ることは、もうない。

"母さんに見送られて出かける俺とはるか。
以前は、陽奈も一緒に日向家で朝食をとって一緒に家を出ることが多かったけど、俺たちはこの夏で人間関係が著しく変わってしまった。
だから、もうそういう機会は……無いのだと思う。"


(続く)