With Ribbon(4)

(承前)


 そして陽奈ちゃんや槇喜屋姉妹が帰っていった二週間後、八月三十一日の夜に、日向家の表で、はるかちゃんもまたふっつりと断ち切られるように唐突に未来へと帰っていく。はるかちゃんは未来の二人の子供だから、未来に帰ってくことはどうしたって仕方ないことではある。それについては、沙蘭さんの娘としてのはるかちゃんが比較的理性的なこともあってか、ある種の静かな納得があるんだけども、けれど寂しさ悲しさももちろんいくらだってある。
 はるかちゃんとの別れは、当たり前の時間の流れの中に自然に位置づけられたものではないから、いきおいその別れへの納得も、どこか宙に浮いたまま、溶けることがないのだ、と思う。沙蘭さんも翔太郎くんも、感情を爆発させることなく、静かな声で、少しだけ涙をこぼす。

"はるか「また、会えますから、さよならは言いません!」
沙蘭「ああ!」
はるか「たくさん、いろんなこと、ありがとうっ!」
はるかの姿は、すぅっと消えていった。
まばゆい光はまだしばらく、俺と沙蘭さんを包んでいた。
沙蘭「本当に……急に帰ってしまったな」
「私と翔太郎の娘が……」
翔太郎「はるかは、すぐに俺たちの顔が見れるでしょうけど、俺たちがはるかに会うのは何年先でしょうね」
沙蘭「泣いているのか、翔太郎?」"

"翔太郎「母さん、飲むなとは言わないけどさ、飲み過ぎるのはやっぱり、駄目だよ」
「はるかのことは……その……急だったけど……あいつと必ずまた会えるのは確かだから」
沙蘭「私も保証します。久遠さん」
久遠「そうね……また、会えるんだものね……」
「一杯だけ梅酒をもらって、寝ちゃおうっと!」
沙蘭「それでは、おやすみなさい」
久遠「おやすみなさい」
翔太郎「おやすみ、母さん」"

 それで、沙蘭さんがその日は日向家に泊まっていく。日向家の一階の木目の廊下で、夏の終わりに沙蘭さんのパジャマは半袖で、涼しげで、肌と肌の距離感の距離感が近かったりする。でもそこは翔太郎くんと久遠さんの住む"家"で、先ずは暮らしのための空間として在る。そこには、どこかずれたような気配がある。

"一風呂浴びて、湯冷ましを兼ねてキッチンでサイダーを飲む。
洗い物を見ると、母さんは梅酒を飲んで寝たらしい。
それからリビングの灯りを消して。
玄関の灯りも消して。
戸締りその他を確認してから、自室へと戻った。
沙蘭「お、おかえり……翔太郎……」
翔太郎「た、ただいま……沙蘭さん」
自室にいた沙蘭さんに、多少驚いたけど返事はすぐできた。
翔太郎「お化けでも出て怖くなったとか、ですか?」
沙蘭「まあ似たようなものだ」
「明日の朝を……一人で迎えるのが……怖い」
「君と過ごした日々……君と私の娘と過ごした時間が……また……夢に切り替わってしまいそうで……」"

 "家"っていうのは独自の論理を持っていて、寝る時はリビングの灯りを消して、戸締りをしなくてはならなくて、それはそこに住む人たちの事情を斟酌してくれるわけではない。
 夏休みの終わり。それはけしてなにかの終わりってわけではなくて、八月三十一日の晩夏の空気は、九月一日のそれと、もちろん連続している。言葉の、概念の上での話ではなくて、今ここに生きている人間として、翔太郎くんにとって、沙蘭さんにとって、久遠さんにとって、今日と明日は地続きだ。それが上で述べた"当たり前の時間の流れ"ってやつでさ、だからこそ、はるかちゃんとの別れはふっつりと何かを断ち切るようなものにもなる。


 いわゆる「すごく悲しくても腹は減る」式の、「生活」が全てを包含するよ的なことが言いたいわけではない。「生活」なんていう、全体的なものはそこにはない、という話は昨日既にした。沙蘭さんは今日一日だけお泊りしに来たのだし、はるかちゃんは未来に住んでいて、陽奈ちゃんや槇喜屋姉妹はよその子だ。そこで皆がたった一つの「共同生活」を送る、という話にはなってはいない。
 今日のつづきは、あした。灯りを消して、戸締りをして。玄関ではるかちゃんを送って、リビングに戻ってきて、そこには久遠さんが居て、そして今夜は沙蘭さんが居る。それらが融け合ってひとつの全体を構成するわけではなくて、それらは全て別々のことで。ただ、時間の織り糸のある一点、あるときに、そこには翔太郎くんと久遠さんと一緒にはるかちゃんや陽奈ちゃんや華澄さん澄香ちゃんが一緒に住んでいたという、そういうことなのだろうと思う。そしていつかまた、翔太郎くんと沙蘭さんとはるかちゃんは一緒に住むのだろう、とも。


 なんだか、八月三十一日の、夏も終わりに近づいて少し涼しくなった夜の空気に、その別れの感覚がすごくしっくり来てねえ。しんみりとしてしまった。この場面の"たからもの"のinstrumental versionは大変好き。





ところで、余談。
 この文章を書きながら、なんとなく"夜明け前より瑠璃色な"のことを思い出していた。やって来てそして去ってゆく人と、"家"という建築物の空間において一緒に住む、というところがよく似ている。無闇と家事云々といった要素を強調しすぎないところも、けれど美味しい食事とかをきちんと大事にするところも。