得能正太郎"こもれびの国"三巻まで。

 なんと言おうか、描かれている眼、視線を追うだけで、胸がいっぱいになって耐え切れなくなってしまうような作品である。

 「世界」とは無限なものであり、無限なものは「世界」である。それは定義上そうなっている。んで、ものごとは、見つめようとしたときに無限となり、世界となる。そのことは、ありふれた町並みを歩くときでさえ知れる。
 この本において描かれている木漏れ日も街並みも空も、間違いなく美しい。美しいのだが、けれどそれが無限、無窮であるのは、なによりもそれが世界であるためだろう。誰にとってそれは世界なのか? 無論、リュリュさんに、コレットさんに、レムさんに、その他たくさんの人々にとってに決まっている。

 例えばScene15の、お父さんやシェリーさんの視線の中に在るレムさんとオムライスとケチャップの無窮さ。レムさんはオムライスを眉にしわ寄せて見つめ、二人はそんなレムさんを見つめていて、そして三人をこもれびが包み込んでいる、それが「無限」なのである。
 それはそれとして、あれこれの衣装に身を包んだ女の子もむろんとても愛らしいのだけれど。でもやはりこれは眼の漫画なのではないかな、とも思う。