ぱすてる

 "ぱすてる"、桜ちゃんルートについて。

 目を合わせると生き物の心が何となく読める桜ちゃんと、動物っぽいシンプルで素直なタカヒロくんが出会った。さて、ではその二人の間には、言葉は要らないのだろうか? その答えはシンプルに否、だろう。言葉というのは別になにかを伝えるためにだけ使われるものではなくて、繋がりを持つために使われるものでもあるし、あるいは語るために使われるものでもある。

"タカヒロ「俺のはなんか黄色っぽいぞ、ほら」
桜「……ふふっ」
あ、桜ちゃんの顔がやっとほころんだ。
ふわっと笑ってくれたのが、なんだかやけに嬉しい。
偶然の思いつきだったけど、線香花火を買いに行ってよかったよ。
タカヒロ「楽しい?」
桜「うん。線香花火も、りんごあめもきれい」
タカヒロ「そっか、よかった。楽しいって思ってくれて」
桜「楽しいよ」
良かった、ほんとに。"

 飾らない言葉が、お祭りに憧れる気持ち、そんな憧れをどうにかしてあげたい気持ち、タカヒロくんがしてくれたことが嬉しくて/線香花火もりんごあめも綺麗で嬉しい気持ち、そういうものを口に出してみる。相手に意味を伝えるためというには、その言葉は拙すぎるし、自然に零れ落ちたものっぽすぎる。

 二人、語るともなしに語る言葉が形作っていく気持ちっていうのがある。タカヒロくんは実際動物的なひとなので地の文は相当に少なくて、だからこそ口に出す言葉が二人の時間を形作っていく主たる力となる。その「二人の時間」――というか瞬間?かなあ、そういうものが鮮やかに描かれているのがすごいところかしらと、そう思った。
 もちろん瞬間というのはあっという間にうつろっていくものでもあって、そのことも含めて、愛情深く描かれていたと思っている。