Sugar+Spice2(5)

 んで、海部ヶ瀬での、あの夕暮れの話。

"銀河「……いいなぁ、そういうの」
響「先輩?」
少し悲しそうな顔に、心配になってしまう.
銀河「わたしの場合、夏休みなんて、昔からピアノのレッスンと塾ばかりだったもの」
「クーラーのきいた部屋で、外を眺めることも余りなかった、そんな思い出ばかりよ」
「草の匂いも、土の匂いも思い出にはないの。夕立の中立ちすくんだりも、怒られたりもなかった」
……先輩。
「ピアノは嫌いじゃなかった。それしかなくて、それが当たり前だと思ってたから」
「ピアノを弾くのに、それ以外のモノが必要だなんて……いまの先生に会うまで気づかなかった」
俺の背中に頭を預けたまま、先輩がそんな話をする。
「だからね、今。こうしているのがすごく楽しいの」
「可愛い制服着てアルバイトして、風花ちゃんや響くんと遊びに行って」
「玲音さんに捕まって、歌さんにからかわれて、後輩のピアノの勉強を見て、その後みんなでご飯を食べて」
「それに、今もこうして旅行に来て。なんだか、いままでの分を、一気に取り返そうとしてるみたい」
そう言う先輩は、楽しそうだけどどこか寂しそうにも聞こえた。
ただ、生まれてこの方、ずっとこんな風に暮らしてる俺は、何て声をかければいいのか分からなかった。
「あの頃は、男の子とこんな風に、自転車の二人乗りするなんて、思ってなかったなあー」"
("夏の空気と思い出"より)

 銀河さんの経験してることは、もちろん楽しいんだけど、ただひたすらに楽しい、というのも多分違う。いや別に辛いことも悲しいこともあるよ、みたいなことを言いたいんじゃなくてね。そもそもさ、沢山の初めての経験をするっていうことは、「楽しい」っていう言葉に押し込めるだけで言い表せることなのかな、ということ。

 例えば響くんは一応方向性としては「楽しい」方向を向いちゃいるんだけど、結局その行動は大概感覚に基づいたものであって、無軌道でさ。だからきっと、色んなものが転がった道を、よく分かんないまま歩いてくんだ、そういう風にできている。そこで出会っていく色んなものは、まだ見たこと無いもの、知らないもの、そういうものが沢山に詰まってて、それを「楽しい」っていう言葉に押し込めてしまうのは、多分できない。少なくとも、銀河さんは芸術家で、そして色々な経験をピアノの糧にせんとしている人なのだし。

 歩いてく年月の中に、散りばめられたたくさんの、修辞でもなんでもなく本当に無数の出来事を、どんな風にアレンジしていくか。それは響くんにも銀河さんにも分からなくて――しかも多分そもそも、そのやり方だって歩く道筋だって、それぞれに違うはずで。いや、ゲームシステムの話をしていないこともないけど、それだけじゃなくてね。今してるのは、響くんとか銀河さんの見る世界の話。夏の思い出の話を通して語られた、世界は無限に広いというか、どれだけ頑張ったって漁り尽くすことはできないくらい沢山の楽しいこともそうでないことも色んなことがあふれているんだ*1、それを共有し切ることなどどうしたってできないんだ、という実感についての話。


"銀河「きっと、これから夕暮れのたびに、わたしは、この夕日を思い出すのに。響くんは、その小さい頃の事を思い出すのかしら」
響「多分、そうじゃないですかね」
今も、潮の香りやあたりがオレンジに包まれたこの世界や。そして後ろに乗せている先輩の事を強く感じている。
だけど、多分俺はあの真夏のお墓に迷いこんでいた夕暮れの事を忘れない。"
"銀河「……もっと、印象に残る事があったら、もしかして響くんもこの夕暮れの事を、一番最初に思い出すようになるのかしら」"

 銀河さんにとって、今は楽しくて、でもそれは自分(たち)で作り出したものだとか、そういう風に見えるようなものよりは、もっと偶然に訪れた大きく貴いものに映っているのかなと思える。海部ヶ瀬の水平線まで広がる海と、それを赤く染める夕暮れの下で。
 でも、「いま」がそういうふうなものだとして、未来は分からない。この刹那の夕暮れに、響くんと銀河さんが共に過ごしたとして、それは別に二人が恋人となる/形を結ぶこととイコールでは全然ない。だから、この出来事は、銀河さんが恋人であることを条件として起きるわけでもないし、恋人でないことを条件として起きるわけでもない。

 だからこの時銀河さんがした頬へのキスは、ことさらに告白めいた意味合いをもって行ったことというよりは、もっとよく分からない衝動に突き動かされてのもののように思える。とはいえ、愛しく貴くも漠然としたこの日々の中で、響くんの見える方角を銀河さんがこの時見つめてそちらに踏み出したのは確かで、でもその行為がどこにたどり着くのかについては、銀河さん自身も別にわかっているわけではない。


 そしてそんな風に考えると、2ndOPのFantastic Concerto!のムービーがことさらに印象深く映る。女の子達の魅力的な、くるくると変わる表情が目まぐるしいくらいの勢いで映し出されてさ。そんな眩しさが弾けて、そこにこそ「恋人」っていう言葉が立ち現れる。そこには明確な物語はなく、やっぱりまだまだ宙吊りの未決定のまま、だけど未来への予感をはらんでて。だから、告白するとか「恋人」になるっていうことは、響くんと女の子の間の関係を選ぶこと、規定することじゃない。そのことはまあ、風花ちゃんルートのお話が端的に示していると思うけれども。
 じゃあ告白することってどういうことなのかなと言うと、多分それは、相手の方向に一歩踏み出すこと、そこにまだ見ぬ未来の可能性を見ることなんだと思うのだ。

*1:そして、玲音さん家の押し入れも沢山の趣味の品で溢れているんだ…というのは駄洒落だけれど