エビコレ+ アマガミ/絢辻詞さんについて

 絢辻さんのアコガレ、シリアイ、スキ、ナカヨシ編まで、ひと通り。ソエン編はそういえばまだ読んでないのだけれど。

書き出し

 さてどういう風に書こうか、と迷っている。最近ブログに関しては省エネモードというか、あまり説明する気のない文章ばかり書いていた気がするので、ちょっと説明的な文章を書いてみようという気もしている。前提の説明をしてから、次にその前提に基づいて「ここが好きです!」ってやるような。まあ後半だけ読んでもらってもよいです。

 とりあえず端緒として一般論めいたことから書き始めてみると、人間誰しも欲しいものとか願いとかってのが色々あって、それは本人が明確に言葉にして意識してるものもあるし、そうでないものもある。言葉になってないものについては、言葉になってない以上語るのが難しいからとりあえず置いておくとしても、言葉になっている願いにしても、一筋縄でいくものでもない、というところから話を始めたい。

願いと言葉の話

 絢辻さんはそうした言葉にされた願いを幾つも抱えている人で、絢辻さん自身の口から明確に語られたものを挙げるだけでも、「社会に認められたい」「サンタさんみたいな事をしたい」「純一さんと一緒にいたい」「クリスマスに純一さんに楽しんで欲しい」こんな風に色々とある。これらはもちろん互いに似ていて、だけどまったく同じではない。これらの「言葉によって語られた」願いの、根っこにある「言葉にならない」望みが同じだとかそうでないだとかいうことは、ここでは問題にしていない。そうじゃなくて、絢辻さん自身が意識する、自分がどうしたいか、という問いへの答えが沢山あるよね、という話をしている。

 何故言葉によって語られた願いの話をするかといえば、絢辻さんが自分の行動について、理屈とか言葉とかを使ってきちんと考える人だからだ。純一さんみたいな人は大概あんま深く考えずに行動してると思うし、自分の中にどんな願いがあるかなんて、特に意識しているわけでもないだろう。でも絢辻さんは違うので、自分の中にどういう願いがあるのかどうか、いつも考えているのだろう、と思う。

 例えば、『自分がクリスマスパーティーの準備を頑張るのは何故なのか?』と問いかけてみる。あるいは、『もしクリスマスパーティーの準備を自分でできなくなるとしたら、どうするか?』とかね。その問いに対して、もし『クリスマスパーティーの準備は別に自分でしなくちゃならないということはない』という答えが自分の中から返ってきたとしたら。それはきっと『自分は社会に認められたいということを最優先にしているわけではない』ということを意味しているのだろう。それが客観的な真実であるのかどうかはどうでもよくて*1、絢辻さん自身にとっての真実はそういうことになるだろう、という話だ。

 かくあるように願いは思考され推定されるのだけれども、ではそうやって出した答えはいつも正しく変わらないものかといえば、そうではない。『クリスマスパーティーの準備を自分でしたいかどうか』そんな問いに対する答えは、状況や巡り合わせやあるいはその時の気分や色んなことで変わって、だからそこから演繹される自分の中の願いや、願いから演繹される「自らのとるべき行動」もまた、一貫したものでありうることは少ないだろう。ごちゃごちゃ書いてきたけど、まあ当たり前の話だ。

 絢辻さんとの会話は、子供の頃の話に触れたとき、ぎこちなくなる。いつだって絢辻さんは子供の頃のことを意識している。とはいえ、それは今の絢辻さんを形作る大きな要素であっても、すべてではないことも確かだろう。純一さんと一緒に居るとき嬉しいことに、殊更に過去との関連性を求めることもない。まあ、純一さんは暖かな家庭で育ったと思われる*2わけで、そこに惹かれたとかそういう膏薬みたいなものを付けることはもちろんできるわけだが、それはそれ。
 純一さんにお礼と称してお弁当を作ってきてみたり、髪を触らせてあげたり、割と最初の方から距離が近い!とか読んでる側としては驚くのだけれど、気持ちがぐぐっと近づけば、そういうことも当然にある。それらはどちらもデアイ編のイベントなので、この後スキ編に行くこともあるしナカヨシ編に行くこともある。だからそうした行動や気持ちにどんな理屈をつけていくかは、結局のところは絢辻さんや純一さん自身に任されている。

"「だから、あたしをあげる」「……え?えっ!?」「分かるでしょ?」「わ、分かるけど……本当に?」「ええ、その代わり……今、橘君がいる日常をあたしにちょうだい」"
"「契約成立、ね」"
(アコガレ編、ゲージ取得イベントより)

 例えば一緒にいる理由として「契約」という言葉を持ちだしてみるとする。だけどこのイベントは進行に必須というわけでもなくて、実際、この後でことさら「契約」って言葉が参照され続けるわけではない。結局のところ、理由をつけてみても、言葉を並べてみても、それが正しい答えだなどとは限らない。

スキ編

 スキ編で絢辻さんは、恋愛って何だと思う?という問いに対して、こう答える。

"「でも、最近は少し意識が変わったかな」「えっ……」「相手をちゃんと見る事かもしれないって、何となく思うようになったの」「相手をちゃんと見る事……」「そう」「ふふっ、うわべだけじゃなくてね」"
(スキ編、会話イベントより)

これ聞いて、なるほどなあ、と思ったのだよね。見るということそれ自体は、価値中立的なこと、ただの動詞で。純一さんと絢辻さんが出会ったことも、二人が互いへの視線を深めていったことも、もしそこに幸福が生まれたとしても、それ自体を幸福と呼ぶのはなにか違う。出会ったこと、互いを見つめたことは、それ自体はただの行為であって、その結論や結果とはまた別のことであるように思われる。
 スキ編でのご褒美イベントは、キスをすることだ。四回もあるご褒美イベントの中で、純一さんと絢辻さんは繰り返し、毎回少しずつ違うキスを繰り返す。最初の方は緊張して、最後の方は少し慣れた感じで。毎回違う、というのがポイントだ。理屈や理由を追っても、それは少しずつ変わっていくから、完全に正しい結論を捕まえられるものではない。けれど繰り返す/互いを見つめ続けることはできる――その時になされるキスが、毎回違うものであったとしても。

"「でね、サンタさんがいないって知ったあたしは、その時に決めたのよ」「『あたしがサンタさんになるんだ』って」「絢辻さん……」「本物になれない事は分かってた。でも、サンタさんみたいな事なら出来るって考えたのよ」「そう……クリスマスには平等に幸せを」「あっ、それでクリスマス委員に?」「……」"
(スキ編、クリスマスデートより)

 話は変わるけど、ほんとこれは強烈に印象深い言葉だ。絢辻さんの尊さ、とか言うとまあなんか大仰であまり良くもないのだが、そうとしか言い様がないような気もするので、どうしたものかと思うのだけれど。
 いい子をやったり、クリスマスパーティーを成功させるために頑張っていたのは何故なのか? あるいは、自分は何をしたいのか? それは絢辻さん自身も自分に問いかけていたことだろうけど、実際、それに対してたった一つだけの答えを得ることは難しい。だけどそれを問いかけて、考えて、純一さんと見つめ合ったり触れ合ったりキスしたり言葉を交わしたりして、自分はこうするんだ、という答えを出したのがスキ編での絢辻さんでね。それが客観的に正しいかどうかというのとは全然別のこととして。
 絢辻さんはクリスマスパーティーの実行委員長であることをやめていて、だからある意味ではこの言葉は、過去のもはや亡い想いを語っているようでもある。でももちろん、絢辻さんの中のなんというのか、欠けたるところのないものへの想いというのか、イノセンスというのか、そういうものが今もちゃんとあることは確かで。だからそれを純一さんが拾い上げて大切にしてくれたことが、もうなんかホント良かったよねあれね!(書いててテンション上がってきた)

"(そっか、絢辻さんはこのパーティーを成功させようと必死だったんだよな……)"
"「でも……今更こんなことしなくても」「ううん、やっぱりやっておこうよ。そうする意味だってきっとあるからさ」「……」 トントン、トントントン!"
(スキ編、クリスマスデートより)

 クリスマスの夜空に、槌音は高く響く。こういう擬音語は大事にしたいですねホントね。この音はね、空で鳴っている、サンタの橇をひくトナカイの鈴の音なんですよ(妄言)。その純一さんの行動を、絢辻さんが静かに受け入れてくれるところも良いのです。もう大好き。

ナカヨシ編

 絢辻さんのナカヨシ編って多分、アコガレ編を経由して到達することを主に想定してるんだよね。最初はシリアイから星を取得する経路で読んでいたので、イベント40-49が見られなくてその後の展開が唐突に感じられてしまったりしていたのだけれど。ともあれそういう風に考えると、ナカヨシ編は、絢辻さんがある特定の願いなり道なりを「選ぶ」ことをしなかった場合、とも言えるはずで。

"「ふふっ、それにしても……こんな風に気楽に人と話せる時が来るとは夢にも思わなかったわ」「そう言ってもらえると、何だか僕も嬉しいよ」"
(ナカヨシ編、会話イベントより)

純一さんと居ると楽しいし「気楽」というのは、ことさらに振る舞い方を決めたり選んだりしなくてもいいということなのだろうと思える。いい子モードといじめっ子モードのニパターンの会話イベントがあるのは、芸が細かくてびっくりしたところ。
 クリスマスパーティーやデートで純一さんに楽しんでもらいたかったり、応援してくれる商店街の人達のためにもパーティーを成功させたかったり、純一さんをイジメてみたり、キスしてみたり。絢辻さんはもともと色んな願いの形を抱えてる人だ。ナカヨシ編では彼女は、それらの形の中から一つを選ぶわけではなく、いろんな形でもって純一さんの前で振る舞ってみているように思う。そして、それを純一さんはすべて受け止めてくれている。

 それはだから、自分の願い、望むあり方を意志的に選びとったスキ編の態度とは、ちょっとばかり違う。スキ編で絢辻さん自身が頑張って出した理屈、選んだ答えは尊いものだけれど、何というのか、それはいつも一握りの不安をはらんだものでもあった。繰り返しになるけど、出した答えってのはいつだって正しい保証はなくて、むしろ答えなんてのはどんどん変わっていくものだからだ。
 救いというのはもともと、ある意味で理屈や選択を越えて、天から降ってくるものでなければならない。つまりはそれは委員会の後輩の子たちのおせっかいであり、不意に点灯するツリーであり、Kissing ballの言い伝えであり、偶然着ることになったサンタ服だ。それらは絢辻さんや純一さん自身が頑張った目標そのものではなくて、間接的な結果としてある種偶然みたいに齎されたもので。そこに、純一さんが深く考えずただ身にしみついたこととして言う「お互い様」という言葉がぴったりとはまる。奇跡は自分一人でなせることではないし、なすことではないから。

"「僕らも手伝ったほうがよくないかな」「でも、それじゃ折角の厚意が……」「はははっ、困った時はお互い様でしょ」「もう……本当にお人好しなのね」「いいわ、やりましょうか」"
(ナカヨシ編、クリスマスデートより)

 ナカヨシ編では、梅原くんも縁さんも後輩の子たちも登場して、賑やかに、奇跡のようにクリスマスツリーは灯る。そしてそれが救いとなり、幸福となる。スキ編の、絢辻さん自身が意識して見せるツリーの点灯とは随分はっきりとした対照が意識されているなあ、と思う。これ以外にもスキ編との対照に関する意識は随所で見られて、「恋愛って何だと思う?」っていう問いに対して「まだ自分の言葉では言えない」という答えが返るとことかもそうだし、エピローグの時制についてもそうだ。

 スキ編とナカヨシ編と、方向性が違うなりゆきを並べたとき、そこにきれいに話をまとめようとする意志はあまり感じなくて、絢辻さんと純一さんにはこういうこともあったしそういうこともあったと、ある種放り投げるような描き方をしている作品かなという印象を受けている。そもそもゲームシステム的にもそうだし、という風に言ってもいいけれど。だからという訳でもないが、ことさらに結論やまとめめいたことは書かずに、良かった、とだけ書いてとりあえずこの文章は終わりとしたい。

余談あれこれ

  • 絢辻さんが繰り返し読んでいるという"文豪の恋愛小説"って何だろう? スキ編での誕生日プレゼントと同一作品だと仮定すると悲惨な話ということになるけど、同一だという保証も別にないので(「プレゼントの方は単に「小説」としか言ってない)。かなり気になるところではあります。
  • スキ編、遊園地デートでのファラオの謎のアレは良かったですね。子供の頃の絢辻さんと出会って、手をつなぐ。それだけなんだけど、それだけで良し。アニメ版の逢ちゃん編のあれはそういうことだったのか、と納得もしたし。
  • はるか先輩についてはまだスキ編しか読んでなくて、なんか書くのであればナカヨシ編読んでからになるかなあ。はるか先輩の職業に関する話が結局どうなって、どういう経緯でエピローグ時点のあれに落ち着いたのかが気になっています。トリマーになりたかったっていう話とか、非常に大事だと思ったし気になったんだけども。
  • あとアニメから入った身なので、梨穂子さんの呼びかけボイスが「あなた」ってなってるの地味に違和感が強かった。まあアニメとゲーム版は別物かなと思ってるし、慣れれば慣れるものだとも思いつつ、やっぱり新谷さんボイスで「純一〜」っていうあの声をゲームでも聞きたかったな、とも思う。文章だと「純一」ってなってるわけだしさ。

*1:いやまあ、そもそも内心の望みや願いに関する客観的な真実ってどう定義するんだという話ではあるのだが

*2:いやご両親がどんな人なのかはよく分からないんだけど、会話の端々から