いますぐお兄ちゃんに妹だっていいたい!

"奉莉「だから、陸斗とは別のクラスになるっていう想像が働かないの」
陸斗「まあ……確かに中学じゃ3年間一緒のクラスだったし……」
奉莉「そこまで一緒だと、これからも一緒っていう気分にならない?」"

 これまでそうであったこと、そうなって欲しいと思うこと、そうなるかもしれないこと、そうなるだろうこと。それらは論理的には別もののはずなのだけれど、実際には、ごちゃごちゃに入り混じったままで頭の中に存在している。それらをきちんと仕分けて扱うのもそれはそれでいいのだけれど、それらが入り混じった時の気持ちもまた、大切にしていきたいものだ。

"歩夢の日記『必要なウソなのかもしれないけど、とっても心苦しいよ。』
『早く……妹だっていいたい。』
『おにいちゃんに……わたしは妹だよって……。』"

 歩夢さんには、夢の中に住んでいる理想の"おにいちゃん"がいるのだと言う。歩夢さんの前に最近現れた義理のおにいちゃんは、夢の中のおにいちゃんとはやっぱり別のひとなのだけれど*1、そこでもやっぱりある種の混線は起きているのだろう。自分たちは兄弟という言霊と、兄妹という言霊と、実際に陸斗くんと歩夢さんにあるやり取りと、夢の中のおにいちゃんと歩夢さんのやり取りと。それらはきっと入り混じっていて、どれが本当ともつかないし、兄弟として振る舞おうとすることもあるし、兄妹として振る舞うときもある。


 そこで上で引用した奉莉さんや陸斗くん、歩夢さんの態度に相通ずるものを見出すとするならば、ごちゃごちゃに入り混じった気持ちの中から、自分にとって愛おしいと思えるものを取り出して現実に投射しようとする/したいと願う態度なのではないだろうか。
 サイコロを振ってみた時、1が出るか6が出るかは分からない。ただ、サイコロを振る人には、6が出るだろうと心の中で思うことも、きっと6が出るよと言葉にすることもできる。もとよりなんの信念を通さずに見る世界などないのであってみれば、そうした気持ちは、慎重に扱っていきたいと思うので。

"歩夢「後で、練習してみる?」
歩夢「……えっ?」
陸斗「上手にできるかどうか、心配してるんでしょ」
歩夢「……うん」
陸斗「だったら、練習するしかないよ」
歩夢「でも、そんな……たった一日だけで……」
陸斗「たった一日だったとしても、練習は裏切らないよ」
歩夢「あ……」"

 たとえばここでの陸斗くんの言葉には、とあるなにかへの信頼が込められているように思える。
 練習という言葉には、単に技術を研究したり身体に覚えこませたりする作業という意味合いだけではなくて、費やした時間――自分がフットサルと親しんだこと、それ自体が自信の血肉となるという考え方とも繋がっている。練習は裏切らないという擬人化的な表現には、そうした呪術的な意味合いがこもりやすくもあるだろう。まして兄妹/兄弟二人で練習したとなれば、陸斗くんの言葉は「二人で過ごした時間は裏切らない」という意味へと展開されていく。
 そうした、二人の過ごした時間への信頼が生まれるのは、現実に成功するかどうかとは別の次元においてだ。そしてその信頼は、それ自体が尊く、幸福なものだと思う。まあ勝ち負けの次元の話としても、自分のプレイに自信を持てればおのずと動きも良くなる、みたいな色気のない話もあるわけですけどもね。でもまあ、作中でも言われているよう、勝ち負けも大事だけど球技大会は楽しんでこそ、なのでさ。


 とはいえもちろん、サイコロを振ればピンゾロが出ることだって当然にある。6が出て欲しいという思いは裏切られて、時に傷つくこともある。陸斗くんはそうしたナイーブなところと、周囲の人々をすごくきちんと気遣える頭のよさが共存する男の子で、ひどく放っておけない気持ちにさせられる。また、そうした傷つくような出来事について繊細に描かれつつ、時に妙に大雑把な飛躍があって驚かされたりもする。
 まだ全部のシナリオを読めてはいないのだけれど、印象深いやり取りの多い作品です。"恋と選挙と〜"にも興味が湧いてきたので、そのうち手を出してみたいところ。アニメは見てないんだけどね。

幼馴染のこと

"皐月「今日は縁日だから奉莉ちゃんが来てるのではないかと思って、少し覗きに来たのだけれど……」
陸斗「……行動読まれてるね、奉莉」
奉莉「まあ、長年幼なじみやってるからね。それで、あたしに何か用事?」
皐月「用事がないと会いに来てはいけないかしら?」"

 奉莉ちゃんはお祭りが好きとのことで、近所のお不動さん(深川不動がモチーフのようである)で毎月ひらかれている縁日によく顔を出しているらしい。それで、ご近所の幼馴染の皐月さんは、特に用事はないのだけれど何となく奉莉ちゃんが来てるかなと思って縁日を覗きに来る。
 なんかとても良いですね、こういうのね。別に奉莉ちゃんだって毎回毎回来てるわけでもないし、来てたとしても時間が合うとは限らないから、ただ奉莉ちゃんに会いに来るだけなら家を直接訪ねた方がずっとよいわけですよ。
 でも皐月さんにとってはそうではなくて、縁日を訪ねて奉莉ちゃんに会えるかもしれないけど別に会えなくてもいい、お祭りを眺めて帰ってもいいしそうしなくてもいい。そういう振る舞い方が成り立つのは、それが繰り返しの中にあるからだろう。幼馴染を訪ねる行為や縁日が一回きりのことであれば、それはきちんと成功する必要がある。だけどそれが繰り返しの中にあるとき、皐月さんは、奉莉ちゃんに会えてもいいけれど、時には会えなくてもいい。そういう、続いていく時間の中に身をおく、幼馴染の女の子同士のありようが好ましかった。
 そういえば以前似たようなことを書いたことがあったなあと思って掘り返してきたのがこれで、つまりはそういうことです。三年近く前のものだけど、Twilogで「妹」で検索したらすぐ出てきたわ。http://twitter.com/singingroot/status/131330341741924352

こぼれ話

  • 主人公の陸斗くんに声がついているのは素晴らしい。後半部分はパートボイスになるのが残念ではあったけど、幸せ度高かった。
  • 作中で、東京の深川にあたる土地に対して「いなせ」という名前が与えられているのだけれど、何がどうしてそうなったのかよく分からなかった。他の土地は上野を北野と言い換える等、割とストレートなのだけれど。調べてみると"粋な深川、鯔背な神田"というフレーズがあるそうで、あるいはそれが由来なのだろうか。作中の「ルークツリー」はスカイツリーのことだと思われて、由来はもしかしてスターウォーズ? とか、そうしたちょっと距離のある言い換えが小並感ながら面白かった。

*1:別のひとったら別のひとなんです