夏空カナタ

"茅羽耶「ううん、朝倉さんっていい人だと思って」
壮太「俺が?」
茅羽耶「私、よそから引っ越してきたので、いまいちこの島に馴染めてないような気がして」
壮太「そうかな?」
茅羽耶「今日なんて知っている人に話しかけても、妙によそよそしくされた気がするんです」
「前までは普通にしてくれてたのに……嫌われるようなことした覚えもないのになぁ」
壮太「上坂さんの気のせいじゃないかな?」
茅羽耶「かもしれません。でもね、朝倉さんが優しいことには変わりませんよ」"

 「いい人」っていうのは抽象的な言葉だからこそ、どう「いい人」なのか明言を避けたい時に便利に使われたりもするわけだけれど、茅羽耶さんの「いい人」っていう言葉の使い方は、そういうのとは違っていてさ。茅羽耶さんはこの時、自身が壮太くんに対して抱いた好感を表す言葉として、ただ素直に「いい人」という言葉を用いている。二人はまだ知り合って二日目で、互いのことを大して知っているわけでもないから、具体的に壮太くんがどういう人だともさまで言えるわけでもない中で、その言葉が選ばれたことは、不自然なことではないのだけれども、ただ、そこで茅羽耶さんに「いい人」って言葉を使うことに衒いがないのは、茅羽耶さんがその抽象的な、いい人、という概念を信じているからなのだろう、とも思うので。

 全くの「いい人」「悪い人」なんて居ない――そういうしゃらくさい分別など投げ捨てるような茅羽耶さんのまっすぐさは清潔で、見ていてほんと眩しいところです。壮太くんも壮太くんで一本気なのだけれど、彼にはどことなしchaotic goodっぽい所があるのと比べると、茅羽耶さんはneutral goodっぽいのだよね。
 壮太くんも茅羽耶さんもどちらも心根のよいひとなのだけれども、それぞれの抱えてる善性は実は方向性が違っていて、だからこそお互いがお互いにとってどこか眩しい存在に見えている、というのは、二人の関係を見る時、特にこそばゆいところです。

"茅羽耶「朝倉さん……私、朝倉さんのことが好きです……凄く、好きなんです」
壮太「俺だってそうだよ」
茅羽耶「あはは……嬉しいです」"

 ほんと茅羽耶さんはまっすぐな人でね。そこで選ぶ言葉がそれなんだなあ、と感じ入ったのでした。