花色ヘプタグラム(1)

"本当に気持ちよさそうにそよそよと来る風をあびて、それからまた雑草取りや虫取りを始める。
丁寧に葉1枚1枚見ていく。
本当に大切に育てているんだというのが分かる。
その様子が、いつもと変わらない。
久也「いずきって暑くないの?」
(…)
いずき「いえ……汗っかきなの、やっぱり恥ずかしいです」
「でも……暑いの好きなんです」
いずきは眩しそうに手をかざしながら空を見上げる。
「この強い陽射しも好きなんです」
久也「七華と同じだね」
いずき「はい。七華と同じです。お日様が強くなるこの時期は大好きなんです」
本当に大好きなんだろう。
花が開いたような笑顔を向けてくる。"

 夏の陽射しは、熱く強く眩しく、あまねく降り注いでいる。光を栄養として空へと伸びる草花のように、夏の陽射しの熱を、厭うことなくただよろこびとして受けることができたなら、それはつまり生命と世界とを、どこまでもまっすぐに愛せるということなのではないか。だから、そうして"花が開いた"ように笑ういずきさんは、ひどく貴い。


そして実際、このやり取りのあった、夏休みのとある猛暑日のできごとは、どれもこれも実に眩しいのである。
 暑さで目が醒めたら、旅館の部屋のつけっぱなしのテレビが猛暑日を告げていた。幼馴染でその旅館の娘の玉美さんが朝風呂に入ってのぼせてしまったので、ちょうどクーラーを効かせていた久也さんの部屋を使って、明日香さんが介抱することになった。玉美さんの代わりに学園の真乎先輩にレモネードを届けに行って、先述の会話を交わしたりした後に戻ってきて、旅館のお風呂で汗を流したのがお昼前。同じくお風呂に入ってたいずきさんと待ち合わせて部屋に戻ったら、涼んで寝てる御湯利さんや玉美さん、本を読む明日香さん、ゲームをしてる真乎先輩と、皆してさして広くもない旅館の一室に集まっていて。


 暑い外と涼しい中を行き来する運動の鮮やかさとか、なりゆきとクーラーのご利益によって皆の集まった久也さんの部屋に、あるじが帰ってくるのが一番最後であるということだとか、いずきさんによる流しそうめんのお誘いが強引ではないところとか、旅館と学校の間にある外に面した渡り廊下という空間の素敵さ*1とか、他にも好きなところは無数にある。けれども、かように何気ない夏の日の出来事をとりとめもなく、けして特別ではないこととして綴るので、それらに対してことさらに言いたてるのも、何やら無粋なことにも思われてくる。

"玉美「去年もやってたよね、真乎先輩」
真乎「素麺と言えばこれだからな」
いずき「みなさん、お待たせしました」
いずきが縁側の部屋からやってきた。
沢山の素麺を盛った皿を縁側に置く。
薬味を入れた小皿にめんつゆを入れる器と、すでに用意が出来ている。"

 何はともあれ、真夏日は眩しく、それを一心に楽しめることはなお眩しい。ともかくそれに尽きるものであるかなあ。

*1:いやほんと、めっちゃ良いと思います。午前中に暑すぎてぼーっとしてる玉美さんや御湯利さんを見つけたりとか、日が落ちた後に星を眺めながらスイカ食べるのとか、いかにもこういう、あわいにある空間ならではの魅力たっぷりで。