花色ヘプタグラム(2)

"久也「結局、何も思い浮かばなかった」
「玉美って何が欲しいのか、俺にはわからんかった。昔っから無欲だしなぁ」
玉美「……ふふっ、そうかもね。久也には分からないかも」
久也「ん?」
玉美「だって……私が欲しいものって、もうあるんだもん」
「私、久也の前だと、不満なんてひとつも無いんだから」
久也「どういうこと?」
玉美「私が欲しいのは……あなただから」
久也「…………」
玉美「久也が欲しいから。いてくれると欲しいものなんてなくなっちゃう。だから久也には分からないんだよ」"
(誕生日の贈り物について)

 こういうことを玉美さんは本気で、そして素面で言っているのだよねと思う。素面でっていうのは、何というのかな、ドーパミンどばどば、みたいな多幸感に包まれてのことではない、静かな気持ちで、ということでさ。
 玉美さんはしっかりしてる人で、別に久也さんが居ないと生きてけない、みたいなこともないんだけどね。でもその心の根っこにはずっと久也さんの後を追っかけてる自分、みたいなものがあって、そういう幼い気持ちを、歪めることもなく心の底に持ち続けているのが彼女の不思議なところでもあり、素敵なところでもあるかなと思われる。そして久也さんは久也さんで、少年の素直さみたいなのを全然失わない、まっすぐで素直で鷹揚でいたずら好きな人であって。
 この二人は、二人でいるとき、何一つ欠けたるところのなかった頃のままの気持ちでいられるから、だからそれ以上何も望む必要がないのだろうか。

"玉美「あ……もしかして……」
露天風呂の前に、貸し切りの札。
書いてあるのは『浪江久也様』。
「……ここまでするんだ」
久也「どうだ、すごいだろう?」
(…)
玉美「それは……いいけど……久也、すっごく楽しんでるね」
久也「玉美は楽しくないのか?」
玉美「んー、そうね……楽しいかな……楽しんでいる久也と一緒にいられるんだから」
久也「む……」
玉美「あ、照れた?」
久也「おう」
玉美「ふふっ、嬉しい。混浴って楽しいね」"

玉美が小首を傾かせて、身体を預けてくる。
「もう幸せすぎて……明日以降、何を望んで生きていけばいいのかな」"

 二人の住んでる温泉旅館で、旅行ごっこをして豪華なお夕飯を頼んだり、露天風呂の貸し切りをして一緒に入ったり――それは非日常とも違うもので、なんとなれば、お父さんお母さんから見守られてのことだからでもあるし、子供の頃にしたことのリフレインだからでもある。むしろ戯れと呼んだ方がしっくり来るそれは、あの頃は冒険の色を帯びていたとしても、多分いまは、もっと静かなものとして感じられるもののだろう。玉美さんが楽しむ理由、久也さんが楽しむ理由、それは言ってみればお互いを楽しませるのが楽しいからなのだろうけれど、その「楽しさ」っていうのは、やっぱり、興奮や熱情とは少し違っていて。
 温泉の熱に包まれて、あの頃抱いていた気持ちをたどるとき、いつかの自分たちと今の自分たちが重なりあうような心持ちになるものかな。望む気持ちも執着も興奮も、全ていつかの自分に明け渡して、というのか――そこには、大人だとか子供だとか、今とか過去だとかのない、ただ無時間的な幸福だけが残るのかもしれない。
 それはつまりは、涅槃、ニルヴァーナだよなあ。花咲く温泉郷の、二人の間にある涅槃。

 こんな文章からだと何も伝わらないかもしれないけれども、かようなものを描き出してしまったこと、いやもうほんと、傑作です。