花色ヘプタグラム(3)
"久也「なら……俺と付き合ってくれる……?」
真乎「それは待ってくれ。少しだけ……あと5分だけ時間をくれ」
久也「……5分でいいの?」
真乎「それだけあれば十分だ。真面目に考えるから待ってくれ」"
久也さんは真乎先輩の事情を知ってなお、ただ気持ちの求めるところを素直に口に出すし、真乎先輩も結局はそれを、自らの気持ちの求めるままに受け止める。
ただそれでも、そのとき「五分だけ」考えるところがきっと真乎先輩の真乎先輩たる部分でもある。そこでは色々の思いが巡っているのだろうけれども、でも何もかもを整理するには、五分は短すぎる。といってどれだけ時間があれば十分なのかといえば、結局のところ数百年でも十分とは言えない、というのが真実でもあろう。だから結局その五分っていうのは、冷静に、どれが最終的にもっともよい結果となるのかを判断するためにある時間ではなくて、むしろ、真乎先輩にも久也さんを望む気持ちがあることを自分自身でも想った時に、それでよいのか、とその気持ちに身を任せる肚をくくるためにあったのだろう。
そんな風に五分考える時間を必要とするかしないのかという久也さんと真乎先輩の違いは、たとえ同じ気持ちを互いに抱いていたとしてもなお大きい、必然的に二人の間に横たわる違いだ。そして、それでも二人は恋人同士になることを決めたのだった。
"私、藤咲真乎はずっと忘れない。
今までの日々……
久也と共に生きるこれからの日々……
そして、今日という日を忘れない。
愛する久也と生きることを、決めた日だから……"
エンドロールに置かれたこの独白は印象深かった。今までの日々もこれからの日々も今日のことも忘れないとは、どうにも転倒した言い方だ。普通は、「久也さんと過ごす未来の日々において」過去を、今を忘れない、という言い方になるものじゃないかと思う。ではそういう言い方をしないとして、ではいつの時間を生きる真乎さんが「忘れない」のか。
実際のところ、久也さんの真摯だけれども蛮勇じみた「一人にしない」という言いぶんを、真乎先輩は受け入れつつも、信じているのとは違うように思われる*1。とすれば結局、この久也さんに聞かれないエンドロールという場所で「忘れない」と語っているのは、過去でもいまでも未来でもない"永遠"という時間を生き未来を追憶する真乎さんの意識で、それは久也さんの傍でいまを生きることを決めた真乎さんとは違う、二つに引き裂かれた真乎さんの意識のかたわれなのではないか。そしてその分裂は、解消されるようなことはなく、二つながらありつづけるのではないかと。
"真乎「あ、絶対はあるな……」
「私は幸せ……これは絶対だな。だって大好きな人と一緒にいるんだから」"
とはいえそれでも、それはやはり絶対の真実なのだなあ。
百年のとき、という、なんだか夢十夜の第一夜のオマージュかと思うような*2想いの形もそうだけれども、ふくよかで地上的なものと地続きに、そういう手の届かないなにかを描くのだよなあ。