おかえりっ! 〜夕凪色の恋物語〜

 発売当時、たしか雑誌かなんかで見かけたのかなあ、認識はしてた気がするのだけれど(それ自体うろ覚えですが/別の作品と勘違いしてても驚かない)、その時はあまり関心は持ってなかったのよね。だいぶ後になってから志茂文彦氏がシナリオ書いてると知って興味を抱いた作品で、ようやくプレイできました。

"渚「それを見て、お兄ちゃんが、私を海につきとばしてくれたの」
「おかげで私は全身びしょ濡れ。泥で汚れたのはうやむやになっちゃった」"
"渚「私、その時、小さかったから、なんでお兄ちゃんがあんな事したのかわかんなかったんだけど」
「大きくなって思い出して、やっとわかったの。お兄ちゃんが私を助けてくれたんだって」
「でもその頃は、お兄ちゃんはとっくに引っ越した後だったけどね」
「いつか、お礼言おうと思ってたんだ。あの時の事」"

 思い出の中で、ああそうだったのかなと気付いたことは、けれどいまはもう遠い話になっている。それは、後悔、というのともまた少し違う想いだ。
 洋平さんの行動の意味に、彼が居なくなった後で気付くとき、渚さんと洋平さんの間のやり取りは、(渚さんにとってだけ)閉じられることのないままに投げ出されている。そういう、かたちを得なかった想い、行き場をなくしたように見える想いは、どうにももどかしく、後ろめたいものとして胸に残るものだと思われる。
 実際、お兄ちゃんのしたことは、善意に基づいたものではあっても、子供っぽいことではあってね、きっとその時に綺麗に閉じられていたやり取りならば、そう印象に残ることでもなかったかもしれない。洋平さんの居ない十年の間に、渚さんがこういう形で思い出した/気づいたからこそ、それはどこか忘れがたい、特別な記憶になったのだろうと思う。


"友達「洋平、早くこいってば!」
洋平「う、うん。でも……」
友達「おれたちだけで行っちゃうぞ!」
洋平「い、行くよ。今いく!」
渚「お兄ちゃん、まってよぉ! お兄ちゃん!」
「お兄ちゃあん……」
…………。
妙な事思い出しちまったなあ。
……薄情なガキだったんだな、おれ。
次の日、ちゃんと遊んでやったんだろうか。"

"洋平「おまえにも、そんな思い出があるのか?」
渚「あるよ。緑と遊ぶ約束破って、友だちと遊びに出かけちゃったりとか」
洋平「ああ……」
渚「あの子はとっくに忘れてるだろうけど」
「私は今でもおぼえてるんだ。お姉ちゃんの嘘つきー、って泣きながら追いかけてくる顔」"

 なるほど洋平さんと渚さんは兄と妹だ*1が、同時に兄姉仲間でもある。

 実際、ああ悪いことしたなあとか、謝りたいなと思ったりとか、お礼を言いたかったりとか、ふと思い出す時間のかけらの中に、そういうのはいくらでもあろう。いつでも正しく、他人に優しく誠実である、なんてことはできやしない。
 どうあれ過ぎ去ったことだし、些細なことでもあるけれど、過ぎ去ったものだからこそ謝る先のないこと、些細だからこそ行き場のない罪悪感は、それだからこその胸苦しさでもある。洋平さんも渚さんも、感じやすくてまじめな人だから、なおのことで。
 そんなときに、同じような思い出を二人ともが持ってるのだと思えるのは、それはなんかこう、救いと表現するのも違うだろうが、どこか助けられるような心持ちになることではあるだろう。丘の上から海を眺めながら、つらつら語りあうのは、綺麗に閉じられなかった気持ちたちを、なにか供養しているような風情もある。


"洋平「実はまだ迷ってるんだ」
渚「そうなの?」
洋平「そもそも教育大に入ったのも、成り行きみたいなもんだし」
「その流れで、いつの間にか教師の見習いになったんだから」
渚「でも、先生になろうか、とは思ってるんでしょ」
洋平「うん。実際に子どもたちを教えてみて、やりがいも楽しさも感じるしな」
「でも、それだけでできる事じゃないだろ。責任の重い仕事だからな」"

"渚「でもね、なんかホッとしたんだ」
「お兄ちゃんも、いろんな事、真剣に考えたり悩んだりしてるんだなあって思ったら」"

"渚「私……」
渚は、ふと遠い目になると、窓の外に目を向け、
小さく呟くように言った。
「私は、どんな大人になるんだろう……」
洋平「渚……?」"

 そんな渚さんのこの言葉を聞いたときには、もう、もう、もう、としか言えなかったですよ。
 「進路」という言葉と、「どんな大人に」という言葉は、似てはいても、だいぶ違うことばだ。お兄ちゃんと進路の話してた渚さんが、ぽつりと後者の言葉を零してしまうのが、何とも言えなくてね。
 何者であるかではなく、何を為すかでもなく、もっと抽象的で曖昧な、なんとかな人とか、なんとかな大人とか、そういう言葉でなければ触れられない気持ちっていうのは確かに存在している。

 たとえば渚さんが家族や島のことといった大切だと思うものを大切にしたいとかと願っていたとして、その"大切にする"っていう曖昧な言葉は、いったい何を指しているのか。「大切にすることとは、嘘をついたり騙したりしないことだ」なんて試しに具体化してみたりしても、世の中には思いやり故の嘘だってあるし、家族のために他人を騙すなんてこともあるかもしれないし。いつだって具体には例外がある。
 だから、そういう曖昧な思いや言葉を抱えてしまうことは、もちろんある種の稚さや若さっていう面はあるのだろうけれど、どうしたってそうあらざるを得ないような、ひたむきで切実なものであるので。
 そういう気持ちを自然にさらりとすくい上げる、いやはや、さすがの手つきでした。

*1:未読者の方向けにいちおう注釈しておくと、特に血の繋がりはないし義兄妹とかでもない