枯れない世界と終わる花(3)

"レン「みんなおうち、一緒じゃないの?」
コトセ「それは……」
コトセが言い淀む。
ユキナ「昔は一緒だったんだけどね。お年ごろってヤツ?」"

 エピローグ(というか個別ルートというか)ではもう一度みんなで暮らそうかみたいな話は全然出てこないけれど、それは感覚的にすごく納得できることだったのですよ。エピローグの後のあの場所で、ショウさん達が一緒に暮らしてないから部分的にでも幸せじゃないんだとか、一緒に暮らしたらもっと幸せになれるんだとか、何かこう、そういうのじゃあないよね、と思う。
 それに、店がなにかの中心とか核とかっていう風には感じないのね。いやもちろん、お店は幸せな場所ですよ? けれど、その場所が家族とか幸せとかの核であって、そしてこれまでハルさんたちがその幸福から疎外されていたんだ……とか、そういう風には全然思わなくてさ。

 と、そこまで考えた時に、ああ、と唐突に納得が行ったんですよ。
 これは、すごく語弊がある乱暴な言い方になってしまうことを承知で言うのだけれど――最初から、それこそショウさんが来る前から、ファミーユでハルさんたちは幸せを抱えていたんだよな、と。


"ハル「……ずっと、こんな日が続けばいいのに」
「最近は、そんなことばっかり考えちゃって」
紅茶を揺らしながら、小さく呟く。
ショウ「……そんな重たい”羽”を持ってるのに、か?」
ハル「はい」
困ったように笑いながら。
でも何の躊躇もなくハルが頷く。
「つらいことがあっても、楽しいこともありますから」
「そんな幸せでも、願うのはおかしいことでしょうか?」"

 幸せとは別にどうしようもない苦しさがあったとしても、そのことによって幸せそのものが否認されるわけではない。そりゃそうなんだけど、辛そうな表情や泣き声を聞いてしまうと、どうしてもそっちに気持ちが引っ張られちゃうのだよね。でもそれは、正しくないのだな。
 どこまでも続いていく苦しさと罪に侵されて、異様な何かに心を侵食されて、自分が自分ではなくなっていって、家族と一緒に暮らすこともできなくなって……それでもなおやはり、幸せが幸せでなくなるわけじゃあない。それでもなお、ハルさんコトセさんユキナさんがお店で過ごしていた時間は幸せなものなのであって、苦しさだけに目を絡め取られてそれすらも不幸と呼んでしまうのは、唾棄すべき単純化というものなのだな、と。

 "嘘だらけの幸せでも"とはあの夜にショウさんが呟いた言葉だけれども、それは幸せ自体が嘘だったことを意味するわけじゃない。だから、新しく何かを得ようとするならともかく、何かを取り戻すみたいなことをする必要なんてないのね。