ナマイキデレーション

"帰り道、三人でいつもの駄菓子屋へやってきた。
新十郎「へぇ。渚の家ってこの近所なのか」
渚「まあね。この駄菓子屋さんも、子供の頃はよく来たよ」
新十郎「へぇ〜。じゃあ俺たち、小さい頃に会ってるのかもしれないな」
渚「そだね」
メイ「我もだな!」
新十郎「いや、おまえ去年までドイツにいただろ」
っつーか現在進行系で小さいくせに何言ってんだ。"

 こういうとこ大好きです。
 文章だけからだと、もしかするとメイさんが寂しがって「自分も自分も」みたいな感じで言ってるように見えるかも知れないけど、実際にはそういうニュアンスではないです。といって別に反実仮想的な、そうだったら良いなあ的な言い方でもない。もっとこうひょいっと、自然に口をついたように「我もだな!」って言葉は出てくる。

 今この瞬間、新十郎さんと渚さんとメイさんが駄菓子屋でスパティー飲んでわやわややっている。その景色の中に、小さい頃にも駄菓子屋で会ってたかもねなんて想像が生じたとして、新十郎さんと渚さんがそうならメイさんもそうかもねって思うのは、推論としては妙かもしれないけれど、想像としてはきっと自然だ。
 新十郎さんも「おまえ去年までドイツにいただろ」という事実/推論の審級におけるツッコミはするのだけれど、「ありえないだろ」みたいに想像そのものに対する直接的な否定をしてるわけではないのよね。

 そもそも新十郎さんの言うよう、メイさんは現在進行系でちっこいわけでね、なら今この瞬間に駄菓子屋で過ごしてること自体が「小さい頃に会って」るってことなんじゃないかなんてのはただの言葉遊びとしても、もとよりそんな想像はいい加減なものでもある。

 そんなことばが会話の中でひょいっと口にされて、そしてさしてこだわりもせずひょいっと流されることを、さて、豊穣とでも呼べばいいものだろうか。まあどう呼んでもいいけれど、つまりはいいですね好きですねーってことなのですよ。