金色ラブリッチェ

 何をどう書いたものか迷ったのだけれど、やはり幼馴染みの話をしよう。ネタバレを気にする種類の作品だとは思うので、一応中身は畳んでおきます。

"絢華「なによ、うれしそうに」
理亜「いや」
「ずっとこの光景を夢見てたから」
「小さいころ出会った男の子とお姫様は、大きくなったら再会して、そしていつまでも、幸せにくらしましたとさ」
「それでオレは、最後にこう言う」
「めでたしめでたし」"(シルヴィさんシナリオ、12/24)

 最初にシルヴィさんシナリオを選択して、そしてその最後にこの理亜さんの言葉を聞いたときの率直な感想は、"……いや待て、本当か? 本当に本ッ当か???"(プレイ時の感想メモより)だった。
 央路くんは王子様でもヒーローでもないことは、理亜さん自身よく知ってることじゃないか。それが理亜さんの抱えている「約束」に関係する思いなのだとしても、幸福に満ちた場に投げかけられた祝福の言葉としては――というよりは祝福の言葉だったからこそだろうか――あまりに唐突なものに聞こえたし、散りばめられた理亜さんにまつわる不穏な"振り"を一切回収してくれなかったことも相俟って、ひどい困惑と不安に襲われる幕引きだった。


"シルヴィア「ねっ、美味しいでしょ。美味しいでしょう?」
央路「……」
「普通」
シルヴィア「あら?」
いたって普通の、ありがちなメロンパンだった。
あえて言うならパン屋が作ってるものらしく、市販のものより上のクッキー生地が分厚い。大粒なザラメを散らして豪華感が強いが。
央路「こういうのはもう結構ありふれてるぞ」
高級メロンパン。なんて、ブームはだいぶ過ぎてる。
個人的にはこういうのちょっと微妙なんだよな。クッキーを分厚くし過ぎなやつ。メロンパンらしくないと言うか。
シルヴィア「ええー……」
「さ、さすがは美食大国日本ね。このレベルがありふれてるなんて」"(プロローグ、3日目)

"両手に2つずつ、4つのメロンパンを同時に食してるシルヴィ。
幸せそうでなにより。
シルヴィア「うーん美味しい〜。玲奈のおすすめは外れがないわ〜」
央路「まあな」
確かに美味い。
玲奈にいわく町一番だそうだ。これは――。
学園を昼休みに抜け出しても、買いに来る価値がある。"(シルヴィさんシナリオ、12/23)

 央路くんは王子様じゃないなんて言ったけど、ホントこの人、言ってることがころころ変わるんだ。同じ店のメロンパン*1を食べてるはずなのに、思いひとつでこれだけ反応が違っちゃうの、ホント全然カッコよくない。
 央路くんはこまっしゃくれた格好つけたがりで、でもその格好つけが一貫してなくてふらついてて、ひとの言葉に割とすぐに――仲の良い友達の理亜さんには特に――影響されるやつだ。素直と呼ぶにはちょっと態度がひねくれ過ぎているようにも感じられるけれど、読み進めるほどにそういう央路くんの、子供っぽくまっすぐなくせにひねくれてるとこを好きになっていったと思う。理亜さんは央路くんと比べるとだいぶ明達な人だと思うけれど、でもよく似てるとこもあって、二人がすごく互いに気を許してるというのかな、そういうとこ本当に好きですね。



 んで、そんな央路くんにメロンパンを「普通」って言われた時のシルヴィさんの表情がすごく印象深いのね。ベースは笑顔なのに、眉と口角がへにょっとなって、焦ってるような、困ってるような顔になる。作中の立ち絵とか一枚絵とかを全て見渡しても、シルヴィさんの表情が「崩れた」と呼べるような隙のあるものになってるのは、ほとんどこのお茶会のものだけと言っていいはずで。
 だけどそんな表情も、二言三言ですぐにいつもの笑顔に戻る。意識してシルヴィさんがそう振る舞ってるのかどうかは定かではないけれども。


"「央路にまた出会えたあの瞬間から*2、今日まで。そしてきっとこれからも」
「すべてがわたしのゴールデンタイムよ」"(シルヴィさんシナリオ、12/24)

 シルヴィさんのこの言は、100%本当のことだと思う。でもそれは、央路くんがいつでも完璧にシルヴィさんの気持ちに寄り添って、完全無欠の楽しさや幸福をあげ続けているという意味ではないだろう。
 そもそもシルヴィさんと理亜さんがしばしば口にする――そして央路くんがそれに影響を受けて使うようになった――「ゴールデンタイム」という言葉は、いくつもの意味が重なり合って用いられているものだ。
 それは別に二人が意図して一つの言葉に多層的な意味を込めているとかそういうことではなくて、もっと単純な話、例えば「ゴールデンタイム」という言葉をシルヴィさんが使うときと理亜さんが使う時で意味がズレるのは当然だよねとか、時々の気持ちや見ているものや状況が違えば言葉の意味も違ってくるものだよねとか、その程度のことだ。もとより、ただのテレビ業界用語だったものをOrohoraの銘に重ねて二人が借用した言葉なのだろうから*3、意味なんて揺れ動く方が当たり前で。



 そしてその揺らぐ中で理亜さんがしばしば用いるモチーフの一つに、「格好つける」という言葉がある。

"「テメェのダチにいるんだろ? 世界で一番見栄を張ってるやつが」
央路「は?」
理亜「生まれたときから王族って見栄のために完璧であり続け、ピアノを弾けばプロも越えるし、勉強運動共に完璧。テレビで始球式なんてアイドルみたいなこともする」"(プロローグ、10/30)

 もちろんここで言う「王女様としての見栄」は、幼馴染みの前でのシルヴィさんの姿とはイコールではないし、そもそもシルヴィさん自身は「格好つける」という言葉は使ってない。
 けれどシルヴィさんが央路くんと理亜さんの前で、王女様としての見栄とはまた違う形で「格好つけ」ているのはそうだろう*4。央路くんにも理亜さんにも負けないくらい……ことによると、二人よりもカッコつけてるのかもしれないと思うくらいに。"GOLDEN TIME"と名付けられたエピソードの最後の場面まで到達して、ようやくそのことが分かる。
 何を言うことでも何をすることでもなくて、笑顔でいることがシルヴィさんの格好のつけかたなんだなあ、と。



 本当に、何度考えてもシルヴィさんという人には圧倒されてしまう。
 笑顔でいるっていっても、それは「辛くても涙を飲み込む」とか「果たせない約束の痛みに耐えて笑う」とか、そういう類のものではない。それはもう絶対に違うはずで*5

 シルヴィさんは「初恋」という言葉をよく口にするし、時に「運命」や「約束」という言葉も口にする。でもシルヴィさん自身は本当のところ初恋にも運命にも約束にもこだわってはいなくて……いやそう言ってしまうとすごく語弊があるかな、初恋も運命も約束もとても大切に思っているし大切にしているけれど、でもそれらのために行動はしていない、とでも言うべきだろうか。
 シルヴィさんの行動がいつでも向いているのは、初恋でも約束でもなく、いま目の前にいる人達、目の前の金色の一瞬だったのだと思っている。どのシナリオのどんな瞬間を切り取ったとしても、目の前の一瞬は、初恋よりも約束よりもずっと重いのだと。

"シルヴィア「日本に来て初めてのことがまたひとつ。これでもういくつ目かしら」
「央路と出会ってから――もう数え切れないほど」
「……」
「央路がいれば、このまま永遠に続きそうよ」
「ね、ソーマ君」
理亜「……」
「ああ」"(シルヴィさんシナリオ、12/24)

 それを知ったときようやく、このシルヴィさんの言葉や「めでたしめでたし」という理亜さんの祝福に対して「本当か?」なんて問うことがどれほど無意味なことなのかが分かったんです。
 改めて*6プロローグからシルヴィさんシナリオまでやり直してそんな風に納得できたつもりになったんだけど、でも結局、そんな「納得」には意味なんてなかったのかもしれない。というのも、最後にCG鑑賞モードに戻ってきたときに目の前に現れた光景に、もうなんか完全に精神がバグってしまったからで。


 とにかく強烈だったんですね。
 解釈や理解を拒むみたいに一言のテキストも添えられずに示された*7そのビジョンには、作中に描かれた時間にはなかったはずの純白の金色が、理亜さんの照れたような笑みと共に映し出されている。
 あの"GOLDEN TIME"にあったのは確かに金色の時間だったのだから*8、それを否定するifを安易に望むなんてことはやりたくないし、やるべきじゃない。でもそもそも「不格好な自分に金メッキして、カッコつけて突っ走ること」って、目の前の世界を否定せず受け入れて、それでもなお、無茶無謀でも手を伸ばそうとする行為だったはずだ。だったらそれと同じように、理亜さんの眩い金色がそこで――しつこく繰り返すけれど、ここではないいつかの"if"にではなく"そこ"で――輝く、輝き続ける瞬間を希うことは、けして間違ってはいないことなんだと思う。

 でもそれは言うほど簡単なことじゃない。だってそんな瞬間は語られたテキストの中には本当に無かったのだから。それでもなおあの一枚のことを考えてると、頭の中がグルグルしてきてよく分かんなくなってくる。それを解きほぐす方法は特にないんだろうけど、かといってニヒリズムに流れてしまうのは違うだろう。だからいまも、あの純白の金色が本当にあったのかどうかは判らない。



 とかく落ち着かない、彼らのことを好きになればなるほどに落ち着かなくなる作品でした。それだけ好きになったってことなんですけどね。

*1:焼きたてかどうかの違いはあるにせよ

*2:原文では「央路また」だが、音声が「央路にまた」となっているので補っている。

*3:あくまで単なる推測ではある。ゴールデンタイムという言葉を二人が使いだしたきっかけが何だったのかや、二人の間に交わされた「約束」の正確な中身がどんなものだったのかといった、過ぎ去った時間に属する話のほとんどは、慎み深く語らないままにおかれている。

*4:"「わたしが知ってる限り、イチと、ソーマ君と一緒にいたあのころだけが、わたしの知ってるわたしなの」「シルヴィア・ル・クルスクラウン・ソルティレージュ・シスア王女ではなくて。わたしなの」"こういうセリフはある。でもそれは二人の前で格好つけてないってことじゃないと思うのね。それはあくまで、二人の前でシルヴィさんは自分自身が望むかたちのシルヴィさんでいられるという話であって、それは飾らないありのままの自分とか、そういうことではないと思う。

*5:茜さんシナリオは……まあ、その。

*6:CG鑑賞モードを見返して空きがあることに気付いたってのもあったので

*7:もちろん想像を逞しくすることはできるけれど、結局それも憶測でしかない。

*8:それは当然ただのカッコつけなんだけどさ。でもそれでいいのだ、カッコつけで。