白川紺子"若奥様、ときどき魔法使い。"

 ちょっと色々好きすぎるんですよね白川紺子作品は。下鴨アンティークも感想書きたいと思いつつも全然うまいこと書けなかったんですが、こっちは何とかかんとか。

"「俺はそろそろ身支度をしなくてはならない。さあ、口を開けて」
レンに言われるがまま、ローズは口を開ける。すみれの砂糖づけがそこに放りこまれた。ローズの口のなかに、ふわりと花の香りが広がる。ゆっくりそれを嚙むと、砂糖の粒が砕けてとけて、甘みが舌から全身をめぐるようだった。ローズはぱちりと目を開ける。
「おいしい」"(11p)

 旦那様に手づから菫の砂糖漬けをもらって目を覚ます、十七歳の"若奥様"。そんな様子を見たくまのぬいぐるみの従僕(魔法で動いてる)が、お菓子の食べ過ぎは駄目ですよといさめてくる。
 甘やかな、おとぎ話のような目覚めを迎えるローズさんにはいささか子供っぽいところがあるのだとは、地の文でも語られていることだ。……とはいえ、それをただ幼さ、いとけなさと呼ぶのは、けして間違いではないにせよ、正確ではないようにも思う*1。いや「実は彼女には大人っぽいところもあってね」という話じゃなくて(あんまり無い)、そもそも子供であること、大人であることに意味を見出すお話でもないだろう、という意味だ。


 子供から大人になるのは、不可逆的な変容だ。少なくとも、世間的にはそういうことになっている。何を得たら(何を失ったら)子供が大人になるのか、それは人によって意見が違うだろうし、それは今はどうでもいい。いまもむかしも、べつだんローズさんはその手の変容を迎えてはいないからだ。


 "バイオレット夫人と冬枯れの魔女"と題された一幕でローズさんが新しく得たものは何もない――とまで言うと、さすがに過言の謗りを免れないかしらん。三人の魔女のお婆ちゃんという、ちょっとクセのある茶飲み友達ができたことは重畳なことですよね*2。でもまあ、言ったらそんな程度のことですよ。

"「心当たりがあるんだね? それをどうにかすることだよ。ウィンキットに心をぐちゃぐちゃにされたくなかったらね」"(79p)

 何かを新しく得たりとか逆に何かを失ったりとか、そういうものではなくて。気づくこと、見つけること、名付けることこそが、魔法に繋がっている。
 贖いようのない後悔もおさなさも、前を向く旅立ちも年古りた憎しみも、すべてめぐる風と季節のなかにあって、それらは名付けられ、気付かれるのをただひっそりと待っているかのようだ。


 

"紳士淑女が行き交う遊歩道を避けて、リナは池のほとりにたどり着く。池を眺めるのがリナは好きだった。ローズもどうやらそのようで、鉢合わせすることが多いが、そういうときでもだいたいふたりは肩を並べて座ったりはしない。ここに来るときは、おたがいひとりになりたいときだからだ。"(226p)

"「リナは高慢ちきで厭味で鼻持ちならないけど、曲がったことは嫌いだし、弱いものいじめも嫌いだし、わりとさっぱりすっきりしたいい子だと思うのだけれど」
「ええ、そうですね」ティオは頭をかく。
「バイオレット夫人と彼女はご友人なだけあって、よくわかっていらっしゃる」
「友人じゃないわ。ただの腐れ縁よ」"(233p)

 ローズさんとリナさんの間柄が、ふたり自身の口から、ほんとうになんてことないように語られるのが好きなんですね。語られる内容よりも(いや内容も好きだけども)、なによりもまずその語りの口調が。
 二人の間に積み重ねてきた時間がある……っていう言い方をすると、少し違和感がある。ものを積み重ねるには、同じ場所に丁寧に置いてやらなくちゃいけないわけでね、きっとそんな繊細なものじゃないんだろう。でもそこには確かに幼い頃からの時間があるということを、ふたりとも――先の言葉をもう一度使うなら、今更「見つける」必要などなく、当然のこととして――知っている。
 であるならば、それ以上なにを言うべきことがあろうか、という話で。そういう風に一切の色気のない語り口になるのが、できるのが、好きで仕方ない。

*1:子供っぽさと幼さは別のものだ

*2:勝手にお茶会に押しかけてきてるだけだけども