ツカサ"アズールレーン ラフィーと始める指揮官生活"一、二巻


 アズレンのゲーム本編は触ったことがないのですが、著者がツカサ先生なので手にとってみた感じ。良かったですねどうも。


「そう言ってくれると俺も嬉しい。でもさ、出撃前に試したけど――指揮官用のヘッドセットじゃ通信ができなかった。これから絆を深めていくにはどうしたらいいんだろうな」
どうすればもっとサンディエゴと仲良くなれるのか。それを一緒に考えてみるべきだと思い、俺は問いかけた。
『うーん……わっかんない! だって私、指揮官のことはもうマックスに好きだし!』
(…)
『だったらさ、指揮官は私のことどう思ってるか教えてよ! 具体的にね!』
「……えっと、元気で明るくて、ちょっと騒がしいけど一緒にいると楽しくて(…)あとは時々騒動を起こすトラブルメーカー的な印象も――」
『それだけ? あー……だったら全然足りないかもね!』
「何が足りない?」
『指揮官が挙げたのは、全部基地での私についてでしょ? 私は"艦船"なんだから、海の上での私をしっかり見てくれないと!』(123~125p)


 ケイさんもラフィさんたちも、気持ちのよい人たちでもあり人懐っこくもあり、そんな彼らが仲良くなること、互いに好意を抱くに至ったことには、さほど多くの意識的努力は必要とされなかったように思われる。
 でも、互いに好意を抱くことや一緒に過ごしたいと感じることは、本作で言う"絆を結ぶ"こと――指揮官と艦船の子たちが五感を共有し、共同体として戦えるようになること――とは別のこととして扱われている。

 それは彼女たちがHomo sapiensではなく"艦船"という存在であること、そして指揮官と艦船の子たちは戦うためにそこにいるという事実と繋がっていて、だからこそ「絆」を結ぶためには、ときに相手の方へと意識的に手を伸ばす努力が必要になることもある。



 調べてみると、アズールレーンというゲームには好感度というシステムがあるのだけれど、それは秘書艦に指定したり寮で過ごすだけでは90ポイントまでしか上がることがなく、それ以上は一緒に戦闘に出ることでしか上昇しない仕様になっているらしくて、本作の「絆」という概念もおそらくそこから来ているのだと思われる。
 別にこれは「絆」を結ばなければ本当の意味で仲良くなったことにならないとか、そういう話ではないと思うんですよ。ひとと艦の繋がりの形はただひとつではなくて、指揮官とラフィーさんは「絆」によって結びついてもいるしそれ以外の結びつきも持っているという、ただ単にそういうことであろうと。


 親密度や好感度といったシステムがあるゲームにおいて、その値が何を指しているのかは一通りではないし、その値だけが好意のかたちとも限らない……一般論にしてしまえばそんな陳腐というか当たり前な話になるのだけれど、やはり心の片隅に留めおきたいことではありますね。