迷える2人とセカイのすべて(1)
必要な毛布は何枚? 一枚? 二枚? いいえ、ありったけ!
一馬「どうする? 俺と六連星でさっと取ってくるか? 毛布六枚くらい、二人で持てるだろうし」
鈴蘭「別に一人一枚って決まってるわけじゃないじゃん。みんなで行って、ありったけの毛布を持ってきちゃおうよ」
六連星「豪勢だねぇ! そうしようぜ、一馬」
(…)というわけで、全員で連れ立って毛布を取りに行くことになったのだった。
結城の先導で、毛布を求めて夜の廊下を歩いていく。
学園中央棟の開かずの間にお泊りするってので、扉を破壊しちゃった倉庫から、ありったけの毛布を持ちだしてくる。
必要十分を勘定するのではなくて、皆してぞろぞろ行って、持てるだけ持ってくることの佳さというものがあるわけです。 別に数を勘定するよりしない方が良いとかそんな話ではなくて、持てるだけ持ってくることには楽しさがあるという、ただそればかりの話。
数のことと言えばもちろん、フィアさんの100番まであるお歌、というのも素敵でした。100というのはつまり、ありったけ、ということだ。
一馬「上手だな、フィア」
フィア「えへへっ、ありがとうなの、パパ。パパのお歌はね、100番まであるんだよ!」
一馬「ひゃ、ひゃくばんっ!?」
フィア「そう!」
一馬「へぇ……」
子どもって、時々とんでもない事を考えるよな。だからこそ可愛くて、愛おしい。
数を勘定しないと言っているのは、いわゆる「後先考えない」とか「損得勘定抜きで」とかそういう態度のことではなくて、もっともっとずっと幼いものだ。
そのことについて、どんな風に説明すればよいか、書き方に迷っている。
本作の語りは、その幼さに寄り添うような説明不十分な語りだし、ときにはほとんど支離滅裂にすら感じられることもある。 でも、そういう風にしか触れ得ないものもある。そのことについて少しばかり書いてみたいと思う。