CUE! / エピソード"おためしマーケット"

凛音「アリス! 大丈夫?」
アリス「バッテリーにエラーがあります。分解して確認してください。」
凛音「え! 分解するの!? 出来ないよー、そんなこと!」
アリス「助けてください。行動が出来ません。」
凛音「ええ、どうしよう? 何をすればいいの?」
アリス「バッテリーにエラーがあります。分解して確認してください。」

 誰かと言葉のやり取りをするとき、人は文脈を通じて相手の意図を想像するし、相手も同じことをしているはずだと考える。 例えば同じ言葉を一言一句違えず繰り返すという言語行為は「君には理解力が足りないのではないか?」という皮肉として機能することがある。

 この皮肉は、"説明が相手に通じなかったことの原因は「自分の説明が悪かった」か「相手の耳か頭が悪い」かのどちらかだと考えられる"という前提を双方が共有することで成り立つ。 その前提が共有されていると、同じ言葉を一言一句違えず繰り返すのは「自分の説明が悪かったとは思ってないですよ」=「お前の耳が悪いんだよ」という意図を示すパフォーマンスとして機能する、と説明できる。


 とはいえ、お掃除ロボットのアリスが、果たしてそこまで高度な皮肉を込めて「バッテリーにエラーがあります」という言葉を繰り返したのかどうかは定かではない。 まあ多分アリスは、ただ決められた定型文を反復しただけなんだろう。

 だけど凛音さんのように、アリスにはアリスなりの考えや気持ちがあって言葉を発しているんだと想像することもできるし、本当のところどうなのかは誰にも分からないことだ。

 皮肉の例がそうであるように、会話とは自分と相手が文脈を共有していると信じた上で成り立つ行為だけど、 相手がどういう文脈に沿ってどういう気持ちで発言したかなんてのは、真の意味では知ることができなくて、勝手に想像するよりない。 そしてだからこそ、人はお掃除ロボットの気持ちを想像し、会話をすることもできるとも言える。


 そしてこの「気持ちの想像」という行為には連鎖する性質があって、好きな相手が共感してる相手には自分も共感しようと思いがちだし、逆に自分が共感できない相手に共感してる人間とは会話がしにくかったりもする。

 「自分に想像できないものを想像できる人」の気持ちというのは想像が難しくて、会話がうまく成り立たないからだ。だから仲のいい二人のうちの片方とだけ仲良くなるというのは難しくて、両方と仲良くなるか両方と疎遠になるかのどちらかになりがちになる。 気持ちの想像や文脈の共有という仕組みには、そういう、白か黒かをはっきり塗り分けるよう求めるところがある。


凛音「でも、アリスって、お掃除のロボットなんだよね。」
「お掃除ロボットとして生まれたからには、ちゃんとお掃除したいよね。」
アリス「はい。私は小型ロボット掃除機です。」
凛音「そうだよねー。」
鳴「……買い取ろうか? 私が。」
凛音「え、なるちゃん?」
鳴「見たところ、私のニーズに合ってそうだし。凛音さんが良ければだけど。」
凛音「そっかー……。でも、アリスにはそっちがいいのかも!」

 けれどここでは、鳴さんと凛音さんの食い違う世界観を白か黒かの一方に塗り分けないままに、静かな対話が成り立っている。

 鳴さんは基本的にお掃除ロボットをモノとして扱っているし、だからこそお金を出してアリスを買い取ることを提案している。そもそも鳴さんは、自室用のお掃除ロボットを買おうとしていた、という文脈もある。

 だけど鳴さんの提案は、凛音さんの「自分にはアリスに上手くお掃除をさせてあげられない」という言葉に対しての返答である、という文脈上にもある。 だから凛音さんは「アリスという子の面倒を見ることを、鳴さんが引き受けてくれた」という文脈で鳴さんの行為を受け止めても"構わない"。

 「お掃除ロボットのアリスが凛音さんの所から鳴さんの所に移動した」という出来事をどういう文脈の上に位置づけるかが、曖昧なままになっているんです。 アリスはただのモノに過ぎないかもしれないし、けなげで小さな生き物かもしれない。 そのどちらが正しいのかをはっきりと定めないまま、鳴さんは凛音さんの憂いを笑顔に変える。


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©Liber Entertainment Inc.

 そうして部屋にやってきたアリスを、基本的には鳴さんは生き物扱いはしないだろう。 けれどアリスは凛音さんの友達だから、完全にモノとして扱ってしまうのもそれはそれで難しくて、 やっぱりどこかアリスが心を持った存在みたいに感じてしまう部分もあるんじゃないか。

 それは、さきに述べたように、共感という行為が、連鎖し伝染する性質のものだからだ。 鳴さんにとって凛音さんは大事な存在1で、だから凛音さんが大事にしている存在も、鳴さん自身無視できない存在になってしまう。


 凛音さんの世界に住んでいた小さな生き物が、鳴さんの私的空間に引っ越してくる。 凛音さんの世界観が、鳴さんの世界を少しだけ……あくまで少しだけ、侵食しているというか。

 生き物ではないはずのものがどこか生き物であるかのように見えてしまうのは、多分ちょっとばかり居心地の悪いことでもある。 だけどそれを鳴さん自身から提案し受け容れたという成り行きが、こそばゆく愛おしい。


 どういう角度から世界を見るかということを、他人に全部任せるわけでもなく、だけど自分で全部決めるわけでもなく、その中間の、夕暮れに染まるあわいの時間に定める。だからこの会話が夕暮れの事務所で行われていることは、ふさわしいことだったと思います。

 どちらかの私室というのは論外なんだけど、寮のリビングもまた「二人の共有の私的空間」なので、アリスが生き物かどうかについて、二人が共通の見解を持つように仕向ける力場があるように思う。どちらの私的空間でもない事務所という場所が、この繊細なやり取りが成立するのを助けたのではなかったかなと……それはまあ、ちょっとばかり与太話めいているけれども。



  1. 鳴さんにとっての凛音さんが何なのかというのは本題ではないので、ここではこういうざっくりした表現に留めておくこととする。