キスベル、夕美さんルート

 "私が好きだった市生は、こうだった筈なのに"、それだけ聞いたら、そりゃまあその後には「でも、今のあなたは好きじゃない」そう続くのかと思うわけです。でもそうじゃなかったね、という話。実際の文脈上でこの夕美さんの言葉を聞いてみると、なんかぐっと来るものがあって、いいなあこの言葉と思ったのです。

"市生「……ああ、うん。あれから真面目にやってます」
そこは嘘でも何でもない。そして夕美が俺にぽすん、と体を預けてくる。
お互い、冬服でコートだけど、それでも夕美の暖かさは感じられる。
そしてその夕美を俺は優しく抱きしめ返す。
夕美「……そうよね。私が好きだった市生は、こうだった筈なのに」
市生「うん?」
夕美「なのにクリスマス会が終わってからは気が向いたらすぐにエッチな事ばかりして……どうしてあんな風になったのかしら」
市生「……それは、俺がスケベで色々我慢してたのに、夕美が可愛くてその上俺の彼女で――それで、色々許してくれたからつい調子に乗っちゃってさ」
夕美「そう、ね……ほんと、普通に考えれば何処かで歯止めが利いても良さそうな物なのに。なんで、止めなかったのかしら」
市生「ほんと、俺も調子に乗っちゃって……これじゃ、高幡さんの事は何も言えないな」"

 恋人同士になってべたべたしまくりの"爛れた日常"を送っていて、その後一時的だけれど、短い間だけ距離を置くことになった。その際に夜の駅前で少しだけの逢引をする。まあ、話をするだけなんだけどね。冬の夜、お互いにコートを着て、間に冬の空気を挟んで互いに触れるというのは、暖かい部屋でそうすることとはもちろん全然違う。象徴的にどうだなんていう話ではなくて、そもそも体の感覚からして全然違うわけです。"私の好きだった市生は"っていう夕美さんの言葉は、改めて少し離れた距離感でもって市生くんと相対して、ああそういえばこれまでの互いへの距離感ていうのはそうだったよねと、その感覚を思い出したことから来たものだと思うわけです。
 旧聖堂で好きだと互いに伝え合った時にしてもそうだけれど、別に夕美さんは市生くんはこうあるべきだ/こうあるから好きなんだと言葉によって規定してたわけじゃないし、今もそうではない。駄目人間モードの市生くんだろうがなんだろうが、好きなことには変わりはないし、大体市生くんや夕美さん自身の性格や中身は特に何も変わっちゃいない。距離のとり方がちょっと違うだけだ。
 どちらだって好きなことに違いはないんだけど、でもじゃあ、いつの間にか自分たちが爛れた感じの距離感の方に寄っていたのは何故だったのか。思い返して考えてみるとよく分からないのだ。それは多分、誰にも分からない。それこそ"調子に乗っちゃった"としか言いようもないのだろう、結局のところ。
 そこでちょっと立ち止まってやり直してみるのだけれど、それは、何かが間違っていたから正すということではないのだと思うんですよ。


 だから、"私が好きだった市生は、こうだった筈なのに"この言葉で大事というか重点がおかれているのは、「こうだった筈」という部分ではなくて、「好き」の方なのだろう。
 この時夕美さんは、市生くんとの関係や距離感を、ひたすら一緒にいようとすることだけで作ろうとしなくてもいいんだと、そうでなくても『好き』を感じていられるんだということを見つけたんだけど。それはつまり自分の中の『好き』を、改めて見つけ直したということなんじゃないかなと思う。
 それはどこか惚れ直しにも似ていて、冬の夜の空気感とも相俟って、なんかすごく胸キュンだったのでした。


 冬の夜のちょっと寒い中で、抱きしめて、でもキスはなし。頑張るよ、って言う。そんな距離感もいい。暖かな部屋で一緒に勉強をする中で、つい相手のいい匂いが気になっちゃって手を伸ばしてそのままセックスをしてしまう、そんな爛れた感じだって、時にはいい。一つ一つ、どれも大切で幸せな時間なのだし、つまるところ『好き』で一緒にいたい、そのことには違いがない。
 ささやかで、劇的なところは一つもなかったけど、そんな曖昧で幸せな『好き』が、曖昧で幸せなままに丁寧に描かれていた、とてもよいお話でした。


 あ、関係ないけど、finの文字と共に出てくる一枚絵のセレクトは何気に衝撃でした。それかよ!