五月什一"コスプレ義妹と着せかえ地味子"

 デビュー作、特に二巻がなかなか良かったので本作も手にとってみたんだけど、驚くほどに華奢繊細な作品でした。


「あ、今の表情よかったよ」
「え? い、今の? こ、こうですか?」
「そうそう」
というわけで俺はカメラを構えながら、ひたすら笑顔でポジティブな言葉を吐き続けていた。(…)眠夢は素人だ。だから「上手くできている」という安心感を与えて緊張しないようにしてあげる必要がある。(150,151p)

御景さんからはそういう下心をまったく感じない。撮影をしたときなんてまさにそうだ。あれだけ私を口説いておきながら、下心が一切ない。
あれ、たぶん思ってるままをそのまま口にしてた。(171p)

 別に御景さんは嘘をついているわけではない1んだけど、少しでもいい写真を撮るために必死でもある。だから相手の表情を引き出すため、フォトグラファーとしての付け焼き刃の手練手管を使っていたりもする。

 翻ってそれを受け取る眠夢さん側としては、義兄がときどき無理して格好つけてること自体は見透かしてはいるんだけど、当然ながら相手のことを全部分かってるわけでもない。だから、眠夢さんが御景さんの気持ちを推測する際には、不十分な想像によって補われた部分がある。

 冒頭で提示される「僕」と「俺」、またコスプレとカメラといった道具立てのせいもあって、序盤だけだと本作は素顔と仮面、相互理解とすれ違いといったモチーフを取り扱っているようにも見える。でも多分そうではなくて、本作はもっとずっと深い場所に踏み込んでいる物語だ、という話をしたい。


赤くなってしまった顔を見られないようにテーブルに伏せる。
なにかあると言っているようなものだけど、どうせ今の御景さんは私がなんでもないと言えば無理に見ようとはしないからこれでいい。
そもそも、よく考えてみれば高校デビューで写真部というのもおかしな話なのだ。だからきっと御景さんは部活まで私のために選んでしまったに違いない。それはなんて優しくて、甘くて、――重たいのだろう。(168,169p)

 このくだりの甘やかさときたら! なにせ眠夢さんがぐっと来てしまったのは、御景さんがどういう人だとか、どんな行動をしたかとかではなくて、彼の"重さ"になのだ。

 たとえば、恋人でもない相手からいきなり誕生日に手編みのマフラーを贈られるのは"重い"。それは、関係性というものが間主観的な、相手が自分をどう思っているかやどう接しようとしているかを互いに推測しあうことで成り立つ、合わせ鏡のような位相にあるものだからだ。

 親密でない相手から恋人みたいに振る舞われるとき、相手の主観(=自分達が親密であるかのように振る舞っている)が、こちらの主観(=自分達は親密ではないと思っている)にのしかかり、侵食してくる。その侵される感覚を、ひとは重さと呼ぶのだろうと思う。


もしこの時シャッターを切っていたのが俺じゃなかったら、例えば師匠だったなら、もっと光理の魅力を訴えかける写真になっただろう。
「いやいや、いいってこれ。イケてる。イケてるよ!」
(…)
「あははっ。でもびっくりした~。御景くん、写真下手だーなんて言うからもうぶれっぶれの写真でも出てくるのかと思った」
「それはもう下手とかいうレベルじゃないだろ」
「いやいやそれが下手ってやつですよ? 普通は」
そうなのだろうか? 若干納得がいかないが、本題ではないので掘り下げたりはしない。(176,177p)

 御景さんは自分の写真は凡庸至極だと言うし、光理さんはちゃんと上手いじゃんと言う。実際、どちらの言うことも作中の描写とは矛盾していないし、多分御景さんも光理さんも、べつに間違ってはいないのだろうと思われる。

 お互いに相手の言い分も少しは分かるんだけど、素直に飲み込めるわけでもない。 だから、光里さんが御景さんにオーディション写真の撮影を依頼した出来事を「写真の上手い人に頼んだ」と解釈するのか、「写真の才能のない人に頼んだ」と解釈するのかは、はっきりとした合意にたどり着くことはない。そしてその揺らぎの中には、先ほどの"重さ"とよく似た、甘いような息苦しいような、独特の感覚がひそんでいる。

 自分がどんな人間だと思っているのか、どんな人間になりたいと思っているのか、どんな人間だと思われているのか――それもまた、突き詰めて言えば関係性と同じく、互いが互いに影響を与え侵食し合うことで成り立っているものだからだ。


 だからこの作品には、ただの主観の間のずれやすれ違いではなくて、それらが交差する瞬間2に生まれては消えゆく、とらえどころのない何かが描かれている。

 そういうものを描き出すにあたって、ゆるやかにいくつもの出来事をリンクさせる構成もさることながら、眠夢さんという女の子の個性はとても大きな存在感を放っていたように思う。聡明で、自分のことも他人のこともしっかりと見てて、だけど他人の主観を――たとえば御景さんの"重さ"を――拒まずに素直に受け止めてしまえるところがある。素直さというか、透明さといったほうがよいのだろうか……御景さんの言う通り、本当に綺麗な人だなあと思います。



  1. 基本的に、御景さんは眠夢さんのことを本心からめっちゃ可愛いよ~~~って思って褒めてるので。

  2. 223p参照。まあベタですね。