わんこの嫁入り(1~2作目合わせて)

 少しばかり前置きの話を。

 泰矢さんは子供の頃にコハルさんアズキさんの二人と結婚の約束を交わしたらしいんだけど、あんまりちゃんと覚えてない。再会後に泰矢さんが改めて二人と「結婚しよう」となるまでの半年の時間についても、描写はほとんど飛ばされている。

 再会直後、一緒に暮らそう、お店を開こうと決めた時点で、三人が結婚することは半ばは決まっていたようなところはある。だけど半年の時間が育んだものももちろん山程あるわけで、時系列や因果を辿って「これが泰矢さん達が結婚したことの決め手だったんです」と整理するような話でもないように思われる。

 この作品の素敵なところの一つが、たとえば「結婚した理由」みたいなもの、泰矢さん達の無意識の中に確かに存在していて、だけどちょっと説明しにくいものを、まあいっか~とばかりに脇に置いてしまって、ただただ平凡で普通なお話をしてくれるところです。

 人間性が素晴らしい!とか頭いい!かっこいい!とかでもない、もちろん別に詩的とかでもない。そんな普通のやりとりの一つ一つに、だけど泰矢さん達の間にある無意識の文脈や空気を感じさせるものがちゃんとある……そうしたやり取りに耳を傾けるのが楽しい。


母「あれね、泰矢は叶えたい夢があるから、結婚云々を考えられない、って感じね?」
泰矢「まぁ、正確には叶えたかった夢だけどね」
母「でも、心のどこかじゃまだ諦めてないはずよね?」
泰矢「……うっ」

 たとえば冒頭のこんな一節。お母さんの指摘の言葉がさらっとしてて、息子のことはなんでも知ってますよ的な嫌らしさとかがないのが好ましい。

 そもそも一緒に暮らしてる家族同士、泰矢さんの夢についてはお互いなんとなく分かってて、単にわざわざ口にはしてこなかっただけなんだろう。だからこの場で改めて口にしてみるにしても、お互い実は知ってたことを確認するみたいな雰囲気が感じられます。


グツグツと煮えてきたのか、部屋に充満するカレーの匂いが一層強くなる。
そのせいか、さっきお腹いっぱい食べたというのに、その、なんというか……。
アズキ「……なんか、僕も食べたくなって来ちゃった……」
泰矢「めっちゃわかる……」
(…)結局5人分。
コハルの『どうぞ』という一言を合図に、深夜にも関わらずみんなでカレーを食べたのだった。

 こちらは、夜中に見知らぬ二人が家に忍び込んでいて、だけどどうもその人達はコハルさんアズキさんの知り合いらしくて……みたいな場面。そこから泰矢さんたち夫婦と合わせて五人、突然に深夜のカレー会が始まるんだけども。

 結局なんでこの人たち勝手に家に上がり込んでたの?という困惑とか、旧知の人に久しぶりに再会した嬉しさとか、深夜にカレーを食べちゃう背徳感とか、そういうの全部脇に置いて、まるでふだんそうしているのと同じみたいに、夕ご飯の残りのカレーが出てくるのです。


泰矢「朝からこんな食べるとは思ってなかったからな。ああ、そういやおにぎりが残ってるか」
コハル「おにぎり、ですか?」
泰矢「ああ、昨日二人に差し入れようと思って作ったんだ」
アズキ「それ食べたい!」
コハル「わ、私も食べます! 泰矢さんが作ってくれたおにぎり!」

 こちらはコハルさんアズキさんが凹んでた日の夜、泰矢さんが夜食のおにぎりを作ったら、二人とも寝てて空振りした後のこと。次の日の朝ごはんは泰矢さんが作ったんだけど、昨日のおにぎりも一応冷蔵庫に入れてて、お腹がまだ空いてたからそっちもぺろりと平らげてしまって。

 泰矢さんのささやかな気遣いが、ダイレクトにコハルさんアズキさんに刺さるのではなくて、一度空振りしてから「冷蔵庫に入れといたら次の日にも食べられるね」っていう生活感に溢れた形で届くのがいいなと思うんですよ。普段からこういう風にやってるんだよねっていう、板についた身振りを感じさせるものがあって。


 それはどこか「自分の家の中は目隠ししたって歩けるし、お風呂も入れるし着替えもできる」みたいなことと似ているのかな。

 毎日その家で過ごして身体に染み付いているからこそ、普段と少し違う今日が来ても、多少なりとイレギュラーがあっても、いつもの延長線上みたいに生きることができるわけでしょう。というより、昨日とそっくりそのまま同じ今日などというものは絶対に来ないのだから、毎日を過ごすということ自体、もともとそういう営みの繰り返しだという話なんだけど。