フォトカノkissの話

フォトカノの感想メモから。

ぼんやり、ぱちゃぱちゃ

"「体育のあと?どうして1人で?」「ちょっと考え事してたんです」「考え事?」「あんなに練習したのに、クラブ…落としちゃったなぁって」"
"「けど、いいんです。精一杯、演技しましたから」「この経験をバネに、春に向けてがんばります」「そっか…がんばれ…」「はい」「ただ、1つだけ心残りがあって…」「ん?」「私、この夏、どこにも泳ぎに行ってないんです。夏休みの間もずっと部活だったから」"

 選考会の時、だっつんが舞衣ちゃんに無我夢中でかけた"うつむいちゃダメだ"という言葉は、それはそうだなあと思われるものだった。正論だと思うし、たとえそれが正論でなかったとしても、それがだっつんと舞衣ちゃんの間にある共感っていうのかな、共有している何かについての真摯な想いをこめたものだったから、舞衣ちゃんの心に響いたのだと思っていて。
 でも、やっぱり悔しいものは悔しいこともまた事実じゃない。ぼんやりと、あの時落としちゃったなあ、悔しいなあ、と思うことは当たり前のことで、そんな時間もまたそれはそれで大切なことだ。それは後悔とはまたちょっと色合いの違う想いであって。夕暮れの中、ぱちゃぱちゃと足でやりながらプールサイドでぼんやりとものを思う時、新体操のこととか、だっつんのこととか、この夏のこととかこれからのこととか、色々と考えたりするのだと思う。
 そういう、ものおもうことって、それ自体がよきものだと思うのですよ。物思いに意味があるとかないとかじゃなくて、ただぼんやりと思うこと、それ自体が。それは夢を見ることと似ている。昼見る夢でも、夜見る夢でもいいけれど。いいんですよ、一緒にプールに行く約束したら、あっという間に頭のなかから吹っ飛んでいくような物思いでさ。


プールサイドで二人で寝っ転がってたりするんだよなあ

 この作品の、1-Cに写真部・フォト部関係の一年生の女の子が集まってるとこがなんか好きなんだよね。別にこう、いつもつるんでるって訳でもないんだけどね。成田さんなんかは別に写真への情熱を共有しているわけでもないし、氷里ちゃん曰く「成田は、私と内田を指して、変わり者ばかりと嘆いてますが」らしい。
 ただそれはそれとして、写真部/フォト部関係の一年生がたまたま一つクラスに固まっているという偶然がまず先にあって、そこになんとなく縁なり思い入れなりが生まれていくということは当たり前にあってもおかしくないと思えていて。一緒のクラスになると、ならなかった時よりも、お互いのことを知る手がかりとか、関わる機会とかが増えるわけでね。時々彼女らが互いに関わってるところなんかが垣間見られたりするのが好き。
 たとえば、氷里ちゃんと内田さんは傍から見ればちゃんと仲が良いように見えるのだけれど、本人(少なくとも氷里ちゃん側)はそうは言ってないのだよね。彼女の事情とかも含めて、そういう言い方をしたくなる気持ちは分かる気はするし、それはそういう関係だ、ということなんだけど。ある人に対して好意を抱くことと、その人と仲が良いと宣言することは全然別のことで、それはそういうもので。でも、例えば卒業後も関係が続くかどうかっていうのは、きちんと縁を繋ぐように手間をかけなきゃいけないみたいなところもあって、その為にはやっぱり言葉で「仲が良い」って宣言しておくのが大事なこともあるよね。
 別に氷里ちゃん内田さん成田さんの関係が卒業後も続くべきだというのではなくて(それはお節介というものだろうし)、でもいい関係が卒業後も続くならそれは素敵なことであるから、そうであったらいいよねと願うような気持ちもある。
 同じ学校とか、同じクラスとか、同じ部活とか、そういう縁ていうのは複雑なものですねというか、なんか一般論にするとそういう当たり前のことになるのだけれど。とりとめがなくなった。