のまみちこ"みさと×ドロップ"

 みさとさんは、さくらさんやちえりさんと比べて内省的というのかな、考えたり感じたことに囚われやすいようなところがある*1。だからこそこの三巻で、みさとさんが、さくらさんやちえりさんや身の回りのことごとに対して語ることについて、なるほどなあ、と感じさせられることは多い。それってみさとさんから見るとそうなるんだなあ、という。

"「それなら……おいでよ〜」
自然と、口からそんな言葉がこぼれていた。
「同じ塾。中学受験のコースもあるし。普通のクラスから、そちらに進む子もたくさんいるよ〜。先生に言って、パンフレット、もらってこようか?」
「うん、頼むよ。ありがとう。それがあれば、親にも相談できるし」
菅野くんはわたしに微笑んでくれる。わたしもつられて微笑む。
本当に小さなことだけど……少しだけ、菅野くんの役に立てるような気がして、うれしい。菅野くんの夢を、悩んでいることを、知ることができて、うれしい。少しだけ、心の距離が近づいた気がして、うれしい。わたしのことも、好きになってくれると……うれしいのにな。
クチナシの花の香りが、いっそう濃くなった気がした。"

 修辞ではなくて、本当にそれは「小さなこと」なんですよね。
 少しだけ触れられて、うれしい。少しだけ近づけて、うれしい。それは関係を変えたり、想いを変えたりするようなものではない、みさとさんの中でだけ、苦しさと共に揺れているうれしさだ。
 むしろそれはうれしいからこそ、胸に差す不安やあせりをざわめかせるようなものでさえある。でもやっぱり傘をさして一緒に歩くことも、もしかしたら同じ塾に通えたらなんて考えることも、どきどきするし、うれしい。


 行動にも言葉にもなってゆかない/ゆけない気持ちは、けれど当然、無いことにはならない。無いことにはならないのだけれど、でもそれをすくい上げることってやっぱり難しいことだから、そういうものを節度を持ちつつきちんと描いてくれるこの作品の筆致には、感嘆するしかないところです。
 いやもう、三巻併せて、本当に贅沢な作品でした。

*1:これは外向的か内向的かということと全然別のはなしです、当然