猫忍えくすはーと

 「お手紙」と来た! 即死級のパワーワードですよもう。食らったら死ぬしかない。

"たま「〜〜♪」
ゆら「姉は真剣に悩んでおるのだぞ。何をしている、たまよ」
たま「お手紙書いてるの」
ゆら「文(ふみ)で我らの想いが届くのなら苦労はしない」
たま「お手紙もらったら嬉しいもん」"

"たま「グスッ、グスッ……どうして来てくれなかったの」
春希「頑張ったんだよ? 頑張ったんだけど、何が書いてあるのかわからなくて……」
たま「あああああああ〜〜〜〜〜〜んっ!」
春希「だよねぇ!? ごめん、本当にごめんね!」
たま「ひく、ひくっ……たま、いっしょうけんめいお手紙書いたのに」
春希「ごめんね僕の頭が悪くてごめんね!?」
たま「……ごしゅじんさまのばか〜」
打つ手なしで、とにかくたまちゃんの頭を撫でながら平謝り。"

 そして春希さんが、ここでたまちゃんを怒ったりしない人で良かった、本当に良かったのです。春希さんが、押しかけ忍者であるところのゆらさんたまちゃんの存在に納得してるわけじゃなくても、それはそれとして拗ねてる小さい子に対して頭ごなしに叱りつけたりする人でないということ、実に有難いことでした。拝みたい。
 かようにゆらさんもたまちゃんも無邪気だし、春希さん側にしても根が包容力のある人なんだけど、いわゆるコミュニケーション能力というのか、お互いの考えをすり合わせたりとかが上手くはないですね。そんなイノセントな彼らに対して大人の立場から親切にしてくれる人がいないのは、なかなかどうして見ていておっかなくもある。

"二人とも寝るのすごい早いし。
春希(話したりするのは無理でも、せめて寝顔くらいは……)
主従とかそういうの通り越して、気分は完全にお父さんだ。
「9時、9時かー……どうしよう、おみやげくらいは――」"

 ゆらさんたまちゃんを養うためにしたことが肉体労働系バイトである辺り、なんとも世知辛いです。春希さんは学校の後のバイトで疲れ果てちゃってて、授業中は起きてるのもしんどいから教師からはガチで怒られるし、それでもあんまり気にかけてくれる友達も居なさそうに見えるし。家賃2万3千円のいい物件が見つかったと喜んでも、身元保証人の問題で弾かれる。
 普通の高校生だから経済力もないし、それでいてあんまり周囲や家族からサポートが受けられる感じでもない。そんな状況じゃ普通の猫を飼うのだって楽じゃないものを、猫忍者と来ればなおのことだ。それは全くもって正論なんだけど、どうにもこうにも世知辛いことではある。

"ゆら「ハルキ殿は一体、なんのためにこの学校というところに通っておられるのでしょうか?」
春希「……難しいこと聞くね」
ゆら「あるばいとは、労働の対価として報酬を得るという意味でわかるのですが」
たま「ほんとだー? おねえちゃん賢い」
ゆら「みゃーん♪ なんのなんの」
たま「がっこうなんて別に行かなくていいのにね?」
遅かれ早かれ、二人がたどり着くべき疑問だったのかもしれない。
「がっこうよりも、たまと一緒にひなたぼっこしたり、にゃんにゃんして遊んだ方が楽しいよ」"

"春希「さっそくっ!? 学園で勉強するのは、将来のために必要なんだよ」
たま「将来って?」"
"たま「たまと遊ぶよりもがっこうの方がいいの?」
春希「……たまと仲良く一緒に生きていくためには、ちゃんと頑張って学校に通わないとダメなんだよ」"

 いやね、これはほんとに悩ましい話ではあるわけです。学校行くのが春希さんにとって「正解」なのかは分からないよね。そりゃ高等教育受けて高いお給料貰えるお仕事に就いて二人を養って、というのは一つの道なのだけれど、そんなこと言っても現状で既にバイト漬けで学業は疎かになってしまっているわけだし。
 そういうのって結局は周囲の手助けとかセーフティネットとか働いてくれないとどうしようもないんだろうけど、そもそも猫忍者自体が戸籍のない存在であるから容易じゃない。そもそもたまちゃんは字が読めないっていうのが、化外の民感出してて激しい*1
 物語の最後でようやくその「周囲」の存在が見出されるのだけれども、それも相当アングラ感漂う存在であって*2、かなり危うい印象ではある。
 春希さんたち三人の結びつきはとても愛おしいもので、幸せになって欲しいのだけれど、先行きはなかなかどうして不透明だよなあ。良き作品であったとは言えるけれども、なかなか悩ましい読後感でもありました。これからのあの子達の道行きが明るいものであって欲しいなと祈ってます。まあ、それしかできないですね。

*1:なお字の読み書きができないたまちゃんがどういう「お手紙」を出したかについては、プレイしてのお楽しみ

*2:あの人達、もうちょっと手続き的正しさを重視してくれないですかね……

ワガママハイスペック アニメ版のBD特典ADV

 ワガママハイスペックOCが発表されたこととは特に関係はないのですが、先日ようやくプレイしたアニメBDの特典ADVの感想。
 いや、こういうの書きたくなるくらい、ほんと良かったのですよ。アニメだと尺の都合でみんな早口気味だったのが、ADVだといつものペースで喋ってくれるのがまず良かったわけですが。いや当たり前と言うなかれ、こういうの安心感ありますね、やっぱり。

"未尋「兎亜ー! お菓子いっぱい買ってきたよー! 今夜は騒ぐよー!」
かおるこ「あ、ご、ごめんね兎亜ちゃん。未尋ちゃんが絶対入れてくれるからって呼び出されて……」
アーシェ「ねぇ未尋……お泊りセットって本当に必要だったの?」
兎亜「うるさいよ3人とも……近所迷惑になるし」
かおるこ「そ、そうだよね……ごめんね」
兎亜「はぁ……」
「……とりあえず、上がったら?」"

 んでぐっと来たのがね、ここですよね。鳴海家の玄関前にお泊りセット持って立ってわいわいやってる三人の姿を見た時の、この感じ。いや何と呼べば良いのか、一体、偶有性とでも言うのかなあ。

 最初、アニメ版に幸樹さんが出ないと聞いた時、ふむむ、と思ったわけです*1。元来の生徒会組と一年生ふたりって、そんなに長い nor 濃い付き合いではないわけですよね。もともと、幸樹さんを介した出会いみたいなとこはあった。だから四人の会話ってのはどういうかたちになっていくものかなと、気になる話ではあったのです。そしてこのエピソードは、それに対するひとつの、とても素敵な答えであったかなと。

 この時、かおるこさんにしたって、兎亜さんが本気で凄く嫌がるだろうと予想しているわけではないだろうと思います。これまでの付き合いもあるし、ホントは寂しいんじゃないかなみたいに思う所もある。でも本人が要らないって言ってるものを押し付けるもんじゃないよねっていうのは当たり前の話だ。それは前に使った言葉をもう一度引っ張ってくるなら、礼儀正しさ、というやつで。

 そこで先輩二人をわざわざ引っ張って鳴海家に押しかけちゃう未尋さんは、伊達に兎亜さんの親友を名乗ってはいないわけで、もちろん兎亜さんの気持ちについては、先輩達よりもずっと強い確信がある。でもそれはそれとして、そもそも兎亜さんが寂しいことって、押しかけ「ねばならない」事情ではないですよね。本物の兎じゃないんだから寂しい思いで死ぬわけじゃなし、それにもし兎亜さん家に行くとしたって未尋さん一人でも良かったかもしれないし。
 結局は未尋さんの楽しそうにしているこれは、未尋さん自身のワガママと呼んでもべつだん差し支えはあるまい。そしてそれだからこそ良いと、そういうもので。

 誰かのためなんかではなく、何かのためでなく、何の帰結でも必然でもなく、単にそこには楽しく過ごす夜がある。夜は短し騒げよ乙女とはよく言ったものです。いやもう、存分に騒げばいい。それに尽きる。

"アーシェ「……急にわたしたちが押しかけたから、疲れちゃったのかもしれないわね」
かおるこ「……悪いことしちゃったかな」
未尋「兎亜は嫌がってないと思いますよ。本当に嫌なら、絶対に家に上げませんし」
「それに兎亜がこんな安らかに寝てるなんて、私と先輩以外の前では初めてです。懐かれてるってことなんだと思いますよ、お二人とも」"

 ここで"懐かれてる"って言葉が選ばれるのがまたよいわけですよ。かおるこさんやアーシェさんのどこが好きだとか、そういう語り口じゃない。そういうんじゃなくてさ、ただ懐いてるのか、懐いてないのか。お泊りパジャマパーティーして楽しいのかどうかを決めるには、それだけで十分でしょうと。

*1:本編やるまでアニメ情報はシャットアウトしてたので

枯れない世界と終わる花(3)

"レン「みんなおうち、一緒じゃないの?」
コトセ「それは……」
コトセが言い淀む。
ユキナ「昔は一緒だったんだけどね。お年ごろってヤツ?」"

 エピローグ(というか個別ルートというか)ではもう一度みんなで暮らそうかみたいな話は全然出てこないけれど、それは感覚的にすごく納得できることだったのですよ。エピローグの後のあの場所で、ショウさん達が一緒に暮らしてないから部分的にでも幸せじゃないんだとか、一緒に暮らしたらもっと幸せになれるんだとか、何かこう、そういうのじゃあないよね、と思う。
 それに、店がなにかの中心とか核とかっていう風には感じないのね。いやもちろん、お店は幸せな場所ですよ? けれど、その場所が家族とか幸せとかの核であって、そしてこれまでハルさんたちがその幸福から疎外されていたんだ……とか、そういう風には全然思わなくてさ。

 と、そこまで考えた時に、ああ、と唐突に納得が行ったんですよ。
 これは、すごく語弊がある乱暴な言い方になってしまうことを承知で言うのだけれど――最初から、それこそショウさんが来る前から、ファミーユでハルさんたちは幸せを抱えていたんだよな、と。


"ハル「……ずっと、こんな日が続けばいいのに」
「最近は、そんなことばっかり考えちゃって」
紅茶を揺らしながら、小さく呟く。
ショウ「……そんな重たい”羽”を持ってるのに、か?」
ハル「はい」
困ったように笑いながら。
でも何の躊躇もなくハルが頷く。
「つらいことがあっても、楽しいこともありますから」
「そんな幸せでも、願うのはおかしいことでしょうか?」"

 幸せとは別にどうしようもない苦しさがあったとしても、そのことによって幸せそのものが否認されるわけではない。そりゃそうなんだけど、辛そうな表情や泣き声を聞いてしまうと、どうしてもそっちに気持ちが引っ張られちゃうのだよね。でもそれは、正しくないのだな。
 どこまでも続いていく苦しさと罪に侵されて、異様な何かに心を侵食されて、自分が自分ではなくなっていって、家族と一緒に暮らすこともできなくなって……それでもなおやはり、幸せが幸せでなくなるわけじゃあない。それでもなお、ハルさんコトセさんユキナさんがお店で過ごしていた時間は幸せなものなのであって、苦しさだけに目を絡め取られてそれすらも不幸と呼んでしまうのは、唾棄すべき単純化というものなのだな、と。

 "嘘だらけの幸せでも"とはあの夜にショウさんが呟いた言葉だけれども、それは幸せ自体が嘘だったことを意味するわけじゃない。だから、新しく何かを得ようとするならともかく、何かを取り戻すみたいなことをする必要なんてないのね。

枯れない世界と終わる花(2)

"アカリ「私も看取られるなら、ユキちゃんがいいわ」
「残される側の気持ちを分かっていながら……」
「”娘”にこんなことを頼むのは、酷い母親気取りだとも思うけれど」
呟くようにそう言いながら。
傾いた柔らかい陽射しに包まれて。
アカリさんは、ただただ優しく目を細めていた。"

 "柔らかい陽射し"という表現は昔から好きで、冬の朝や午後のたよりない陽光に実に似合う言葉だと思っている。陰日向をはっきりと分かたない、どこか曖昧な散乱光を表す言葉だ。そしてそれに続く"ただただ優しく目を細めていた"という表現は何気ないようだけれども、本当に、この作品一流のものだろうと思う。
 例えば「微笑んでいる」と言っても「穏やかな表情」と言っても、そこには解釈が含まれてしまう。べつだんそんな意図はなかったとしても、不用意な言葉遣いは、なにかを決めつけてしまうことに繋がることがある。
 ショウさんは真面目な人だけれど、真面目に過ぎて、そうした決めつけをいちいち慎重に回避してしまう人だと思っていて。"俺には想像も出来ない苦労が"とか言っちゃうわけですよ、この人は。それは全くその通り、文句の付けようもなく正しくて誠実な態度なのだけれども、それにしたって……とは思うわけで。

 この作品では、物語の多くの部分がそうしたショウさんの一人称によって語られることについて、色々と意識的な構成がなされている。このショウさんに"目"が描かれておらず、過去の回想のとある人物に"目"があることについて最初は違和感を抱かされたのだけれども、それも実は意図的な演出だった*1

 そしてその真面目さ故に、"約束"に関するショウさんの言動はしばしば分裂している。読んでいる側としてはその分裂がショウさんの真摯さから出たものと分かっているから否定しようもなくて、けれどそれがあまりに息苦しいものだから、正直に言えばだいぶしんどい思いをさせられた*2


"コトセ「恋愛なんて考えたことなかったけど……」
「でも、こういうのがすごくいいなって」
「こういう人に憧れてたような気がするって。そう思ったの」
くす、と幸せそうに目を細める。
ショウ「昔に読んだ本の影響、とかかもな」
「……思い出せないくらい、昔の」
コトセ「そうだね。そうかも知れない」

 でもね、二人、ベッドの中で互いの体温を感じながら、こういう言葉がふっと出て来たりもするわけです。
 暗がりでしか生まれてこない言葉っていうものがあるよね。恋とかそういうのを必要条件とせず、選択肢と関係なくこのひそやかな時間があるところが、優しくて好きなんですね。
 道理としては、"目"のないショウさんは、コトセさんのこれまでにもこれからにも寄り添うことはできないでしょう。それはコトセさんのことを好きと言おうが言うまいが変わらない。ただ、暗闇の暖かさというのは時間や因果を曖昧にするものでもあって、その中でふと遠い記憶かなにかのようなものが蘇ったりすることには、別にものの道理とかとは関係ないよねとも思うわけで。

*1:一枚絵"そして花になる"の現れるタイミング参照。

*2:というかね、ハルさんとレンさんの時にショウさんが言い出したあの悪質な詐欺みたいな理屈は心の底からどうかと思います……。ほんとヒドい。

枯れない世界と終わる花(1)

 どう書くべきか、けっこう悩むのですけれども。そうだなあ、まずは体験版をやった時の感想から書いていこうか。

"コトセ「レン、食べたままでいいからちょっとこっちおいで」
寝癖のついたレンの髪に櫛を通す。
「女の子なんだから、身だしなみには気をつけなきゃダメよ?」
「せっかく可愛いんだから、ちゃんとしないと」
次は温めた濡れタオルでレンの顔を丁寧に拭いていく。
面倒見の良いお姉さんでいいなぁ。
俺もちょっと面倒見て欲しいのは黙っておく。
「はい、綺麗になったわよ」
「こんな小さな女の子を野宿させるとか、ほんと信じらんないわね」
「もっとちゃんとしてあげなさいよ?」
ショウ「おっしゃること、ごもっとも」
「前向きに検討します」"

 体験版をプレイした時、パンケーキと紅茶と花の栞、そして小さな女の子の髪に櫛を通して綺麗にしてあげることへの、とてもとても微妙なこの距離感に、まずは心惹かれていました。それらを、あらねばならぬものとして、あるいはあり得べきものとして語るわけではない。けれどもそれはあらまほしきものではあって、というのかな。

"レン「せめて屋根のあるところで寝たいよぉ……」
ショウ「でも屋根がないと星が見えて素敵だぞ?」
「見上げてみろこの満点の星空を」
「星空の屋根なんてロマンチックだと思わないか、お嬢様?」
レン「ほんっとさいてー。さいてー」"

"レン「わぁ! 何コレ!? ねぇショウ、何これ!?」
ショウ「これはギャラクティカローリングダイナマイトパンケーキっていうんだ」
レン「ぎゃらくてぃかろーりんぐだいなまいとぱんけーき!」
「ぎゃらくてぃかろーりんぐだいなまいとぱんけーきおいしそう!」
ハル「違いますよ」
レン「ふぎゃー! ショウの嘘つき!! きらい! 大っきらい!!」"

 お腹を空かせることも、屋根の下で寝ることができず野宿をすることも、「そんなことはありえない/許されない」といった風に否定/否認されるわけではない。それらはどうしたって目の前にあり得ること、あり得てしまうことであって。でも同時に、温かくも美味しいパンケーキもまた、目の前に存在している。レンさんの喜びようも含めて、ほんと美味しそうなんですよね。匂やかで、華やか。だからそれは、あらまほしきもの、とでも呼ぶのがよいのかなと、まずは思ったのでした*1
 どちらか片方を否定するのは――「野宿なんてしちゃいけない」とか、あるいは逆に「パンケーキなんて食べてる余裕はない」とか――簡単で、かつ明快だ。そうしないとすれば、どうしても割り切れない苦しさのようなものを抱えることになる。でもそれは、容易に片方を否定しない真面目さ、あるいは潔癖さなのかもしれない。


"ハル「それで、来て頂いた用件ですけども」
「ふざけないで真面目に答えて下さいね」
真面目な空気を感じて。
俺も姿勢を正してハルに向かう。
ショウ「ああ、分かった」"

 この夜、それまで韜晦めいたことをよく口にしていたはずのショウさんが、本当にハルさんにまっすぐな答えしかしなかったことに――ショウさんに対してはいささか失礼な話ではあるけれども、正直に言ってしまえば――意外というか、驚きの念を抱いたのね。もちろん、ハルさんがショウさんとレンさんを店に招くことはとても重大な決断であって、それに対して真っ直ぐに答えることに不審などありようもないのだけれども、ともかくその時に分かったのは、ショウさんという人がすごく真面目なひとなのだということだった。

*1:最後まで読み終えた今となっては、それはあるいは作中の言葉を借りて「願い」などと呼ぶのがしっくり来るのかもしれないなあ、とも思うのですが

まじかりっく⇔スカイハイ

 隼人さんとゆりかさんは胸キュン幼馴染エピソードの宝庫ですね。

"ゆりか「だって……はーちゃんが、長い方が似合ってるって……」
(…)
隼人「サラサラなのに柔らかくて……好きなんだよ。このさわり心地」
「だから、長い方がいいって言ったんだ。その分寝ぐせが付きやすいんだろうけど」
ゆりか「ずいぶんと利己的な理由だったんだね」
隼人「利己的とか難しく言わないでください」
ゆりか「じゃあ、自己中だ」
隼人「どっちでもいいわ。いずれにせよ、俺が俺のために、軽い気持ちで言ったようんなもんだ」
「けどな、やっぱり言ってよかったと思ってるよ。今じゃ、髪の短いゆりかなんか想像できないからな」
ゆりか「まあそういう事にしといてあげるね」
「私もね、髪を長くしたおかげで早起きできるようになったし」
隼人「そうだったの?」
ゆりか「だってこのままじゃ表に出れないもん……慣れって偉大だよね」
それが早起きの習慣につながったってなら、俺も早起き出来そうなもんだけどな。
隼人「うっし……あらかた片付いてきたな。これ終わったら、朝飯食いに行こうぜ」
ゆりか「うん……その前に着替えとお化粧するけど」
隼人「あ、そっか。んじゃ、廊下で待ってるわ」"

 別にこう、相手のためを思ってしたこととか好き好き大好きとかそういうのばかりじゃない、ふとしたことが、思い返してみるとお互いの現在とか習慣とかに深く根付いている――そういうものとしてゆりかさんの髪の長さが語られるのが、実にらぶらぶ度高いです。


"隼人「それで、何するつもりなんだ?」
ゆりか「恋人宣言! ここでやろう!」
隼人「こっ、恋人宣言……!? 朝の話、覚えてたのか……?」
ゆりか「ここで、みんなに聞いてもらおうよ!」
ここで聞いてもらおうと言われても……地上は足元のはるか彼方だ。
隼人「ここから叫んでも聞こえないんじゃ……」
ゆりか「空に、だよ。はーちゃんの大切な空に聞いてもらいたいの」
そしてゆりかは、空に向かって語りかけた。
「私、大好きなはーちゃんの恋人になったよ!」
…………。
一瞬きょとんとしてしまった。
目の前のゆりかは、本当に空に向かって、目の前に広がる大空に向かって、大声で語りかけている。
「はーちゃんがそばにいてくれるから、私は前に進んで行ける!」
「飛べない私が、空に届いたんだよ!」
「ぜんぶ、ぜんぶ、はーちゃんがいてくれたからなの!」
「私の好きな人って、すごいでしょーーーー!!」"

 でもって、北見六花最強!なのである。ここがもう、ほんと最高でした。
 少し細くて、けれど強い澄んだ声が、どこまで広がる水色の空に広がっていく。多分少しばかり隼人さんを置いてけぼりにした、幸福でちょっと重い女の子の声だ。ほんとこれは必聴です。

 空は高く広く、隼人さんを魅了する。飛べないゆりかさんはそれが妬けたのだし、でもそんなこと言ったって隼人さんの傍にはずっとゆりかさんが幼馴染として居たわけだし、やっぱり隼人さんにはゆりかさんが初恋の相手だったし。
 隼人さんとゆりかさんは、別に何もかも通じ合ってるわけでもないし、分かり合ってるわけじゃない。でも二人はなんだかんだでお互いがすごく大切な幼馴染で、それは昔の記憶が一部なくたってそうで、別段何もかもわかり合ってるわけじゃなくても、恋でもそうでなくても、それとは関係なく互いを大切にしてるのが、共通ルートからしてよーっっく分かるようになってるのね。
 でさ、ここが大事なのだけれども――その距離感って、互いだけを見て、二人だけの世界に入り込むようなものとは違うんだと思うので。この時ゆりかさんは、隼人さんに語りかけてるわけじゃなくて、空に対して語りかけている。隼人さんとゆりかさんの間に閉じた完全性みたいなものはなくて、その代わり、空に向かってどこまでも伸びてゆく声がある。それはこう、すごく素敵なことなんだよ。


"隼人「どうした?」
ゆりか「いまちょっとだけ、観覧車に乗ってみたいなって……」
隼人「おおっ! ゆりか、高所恐怖症、治ってきたのか!?」
ゆりか「治ってるかどうかは、私にも、よくわからない」
「でも、できるなら、はーちゃんともっといろんなことするために、もっと高いところに行けるようになりたい」"

 ここもほんと良いなーと思います。高所恐怖症が治るっていうのは『観覧車に乗れるようになる』ことじゃなくて、『観覧車に乗ってみたいと感じる』ようになるということだ、というとこ。地味ながらとても素敵。



 隼人さんのゆりかさんへのプレゼントのロマンチックぶりにもやられたし、サライラさんと隼人さんの楽しげな相棒ぶりも大好きだし、シャルルルさんルートの、世界樹のお話に相応しい、世界からの祝福に満ちたすっ惚けた成り行きもとても良かった。そういえば(超々今更だけど)Whirlpool+大三元氏の最後の作品だったんだなあ……。

おかえりっ! 〜夕凪色の恋物語〜

 発売当時、たしか雑誌かなんかで見かけたのかなあ、認識はしてた気がするのだけれど(それ自体うろ覚えですが/別の作品と勘違いしてても驚かない)、その時はあまり関心は持ってなかったのよね。だいぶ後になってから志茂文彦氏がシナリオ書いてると知って興味を抱いた作品で、ようやくプレイできました。

"渚「それを見て、お兄ちゃんが、私を海につきとばしてくれたの」
「おかげで私は全身びしょ濡れ。泥で汚れたのはうやむやになっちゃった」"
"渚「私、その時、小さかったから、なんでお兄ちゃんがあんな事したのかわかんなかったんだけど」
「大きくなって思い出して、やっとわかったの。お兄ちゃんが私を助けてくれたんだって」
「でもその頃は、お兄ちゃんはとっくに引っ越した後だったけどね」
「いつか、お礼言おうと思ってたんだ。あの時の事」"

 思い出の中で、ああそうだったのかなと気付いたことは、けれどいまはもう遠い話になっている。それは、後悔、というのともまた少し違う想いだ。
 洋平さんの行動の意味に、彼が居なくなった後で気付くとき、渚さんと洋平さんの間のやり取りは、(渚さんにとってだけ)閉じられることのないままに投げ出されている。そういう、かたちを得なかった想い、行き場をなくしたように見える想いは、どうにももどかしく、後ろめたいものとして胸に残るものだと思われる。
 実際、お兄ちゃんのしたことは、善意に基づいたものではあっても、子供っぽいことではあってね、きっとその時に綺麗に閉じられていたやり取りならば、そう印象に残ることでもなかったかもしれない。洋平さんの居ない十年の間に、渚さんがこういう形で思い出した/気づいたからこそ、それはどこか忘れがたい、特別な記憶になったのだろうと思う。


"友達「洋平、早くこいってば!」
洋平「う、うん。でも……」
友達「おれたちだけで行っちゃうぞ!」
洋平「い、行くよ。今いく!」
渚「お兄ちゃん、まってよぉ! お兄ちゃん!」
「お兄ちゃあん……」
…………。
妙な事思い出しちまったなあ。
……薄情なガキだったんだな、おれ。
次の日、ちゃんと遊んでやったんだろうか。"

"洋平「おまえにも、そんな思い出があるのか?」
渚「あるよ。緑と遊ぶ約束破って、友だちと遊びに出かけちゃったりとか」
洋平「ああ……」
渚「あの子はとっくに忘れてるだろうけど」
「私は今でもおぼえてるんだ。お姉ちゃんの嘘つきー、って泣きながら追いかけてくる顔」"

 なるほど洋平さんと渚さんは兄と妹だ*1が、同時に兄姉仲間でもある。

 実際、ああ悪いことしたなあとか、謝りたいなと思ったりとか、お礼を言いたかったりとか、ふと思い出す時間のかけらの中に、そういうのはいくらでもあろう。いつでも正しく、他人に優しく誠実である、なんてことはできやしない。
 どうあれ過ぎ去ったことだし、些細なことでもあるけれど、過ぎ去ったものだからこそ謝る先のないこと、些細だからこそ行き場のない罪悪感は、それだからこその胸苦しさでもある。洋平さんも渚さんも、感じやすくてまじめな人だから、なおのことで。
 そんなときに、同じような思い出を二人ともが持ってるのだと思えるのは、それはなんかこう、救いと表現するのも違うだろうが、どこか助けられるような心持ちになることではあるだろう。丘の上から海を眺めながら、つらつら語りあうのは、綺麗に閉じられなかった気持ちたちを、なにか供養しているような風情もある。


"洋平「実はまだ迷ってるんだ」
渚「そうなの?」
洋平「そもそも教育大に入ったのも、成り行きみたいなもんだし」
「その流れで、いつの間にか教師の見習いになったんだから」
渚「でも、先生になろうか、とは思ってるんでしょ」
洋平「うん。実際に子どもたちを教えてみて、やりがいも楽しさも感じるしな」
「でも、それだけでできる事じゃないだろ。責任の重い仕事だからな」"

"渚「でもね、なんかホッとしたんだ」
「お兄ちゃんも、いろんな事、真剣に考えたり悩んだりしてるんだなあって思ったら」"

"渚「私……」
渚は、ふと遠い目になると、窓の外に目を向け、
小さく呟くように言った。
「私は、どんな大人になるんだろう……」
洋平「渚……?」"

 そんな渚さんのこの言葉を聞いたときには、もう、もう、もう、としか言えなかったですよ。
 「進路」という言葉と、「どんな大人に」という言葉は、似てはいても、だいぶ違うことばだ。お兄ちゃんと進路の話してた渚さんが、ぽつりと後者の言葉を零してしまうのが、何とも言えなくてね。
 何者であるかではなく、何を為すかでもなく、もっと抽象的で曖昧な、なんとかな人とか、なんとかな大人とか、そういう言葉でなければ触れられない気持ちっていうのは確かに存在している。

 たとえば渚さんが家族や島のことといった大切だと思うものを大切にしたいとかと願っていたとして、その"大切にする"っていう曖昧な言葉は、いったい何を指しているのか。「大切にすることとは、嘘をついたり騙したりしないことだ」なんて試しに具体化してみたりしても、世の中には思いやり故の嘘だってあるし、家族のために他人を騙すなんてこともあるかもしれないし。いつだって具体には例外がある。
 だから、そういう曖昧な思いや言葉を抱えてしまうことは、もちろんある種の稚さや若さっていう面はあるのだろうけれど、どうしたってそうあらざるを得ないような、ひたむきで切実なものであるので。
 そういう気持ちを自然にさらりとすくい上げる、いやはや、さすがの手つきでした。

*1:未読者の方向けにいちおう注釈しておくと、特に血の繋がりはないし義兄妹とかでもない