栗原ちひろ"ある小説家をめぐる一冊"

 悪魔交渉人も面白かったけど、本作は六使徒シリーズに匹敵するくらい好き(最上級の賛辞)。
 このタイトルだし、「一人称の使い方が〜」なんて褒め方をするとまるでメタな仕掛けでも褒めてるのかなんて思われそうではあるけれども、いやいやそういう話ではなく。語り部の田中さんの、感傷や妄念の中でする独特の語り口が、なんとも魅力的なのです。

"駄目だ、このままではまた正気を失ってしまう。また呑みこまれてしまう、些々浦の小説世界に。
どうして自分はこんなにも些々浦の世界に入りこみやすいのだろう。
(…)話自体にケチをつけるところは山ほどあるが、妹を探して奇妙な館に入っていく主人公の気持ちは痛いほどにわかってしまう。"(46, 47p)

 切実な感傷に呑みこまれてしまう時、その感情自体にどういう意味や価値があるかは、そもそも問題ではない。妹が大事だから狂おしい気持ちになるんだとかなんだとか、そういう意味付け理由付けは、後から追っかけてくることでしかない。
 感傷は子供の頃に出逢ったナニカのような顔をしていることが多いけれども、だからといってそれが本当に子供の頃に感じたこと、出逢ったものなのかなど分かったものではない。何を語ったってそこには嘘が混じってしまう。折り目正しく感傷に相対することなんて、そもそも不可能であって。

"これは、この原稿の先はどうなるのだろう。主人公が猫だと思っていたものは妹の化身とか、主人公自身の後悔とかそういったものなのだから、基本的には廊下の先、屋敷の奥、主人公の心の深いところにいるものなのだ。書籍版ではそうなっていた。それが後ろにいたら、オチが根幹から変わってしまうではないか。どうするんだ。どうなるんだ。"(50p)

 そこで、醒めた視線、思考を抱えながら、それでいて別段感傷に呑みこまれることを恐れるでもなく突き進んでいく28歳編集者男性田中さんの態度ってのが、こう……なんと言えばいいのかな、危ういし、純粋さ素直さにも見えるし、乱暴で遠慮がないとも言えるかもしれず、渾然一体となったそれが、兎にも角にも魅力的なのです。
 一話*1の些々浦先生が登場する前後のくだりがとても好き。生身の些々浦先生が現れて、怪奇めいた不安がさっと晴れて、彼の見ている場面の色使いは随分変わったはずなのに、当の田中さん本人はしれっと澄ました面で語りを続けている。とはいえそもそも田中さんが猪突猛進している方向自体はいつも何も変わっていないのだから、彼の態度が変わらないのも当然といえば当然だっただろうか。

"「……一緒に、悪いことを」
(…)「……ちょっとくさかったですかね」
「うん」「やっぱり」
あまりの即答に肩を落とす田中の耳に、くすり、という声が届く。
笑い声だ。些々浦の。……本当に? 田中は慌てて顔を上げる。"(87, 88p)

 挙句の果てにコレですよ。クサいセリフで強引に現実の落とし所を作ってしまうのは、ある意味で詐欺みたいなもので、お前それはどうなんだと思う。思うんだけど、そもそもさっきも言ったとおり、感傷を正しく扱うことなんて不可能でもある。だから、「大人」のくせにナイーブで切実な感傷を捨てる気がないのなら、それは確かに理にかなった態度ではあるのだ。些々浦先生も、田中さんにただ素直に騙されて乗っかるわけではない。いや、些々浦先生の子供っぽさもそうじゃないとこも、実に魅力的ですよね。
 THORES柴本による表紙の田中さん像には当初は美形すぎでは感を覚えていたのだけれど、読み終えてみて、この危なっかしくも悪い男ぶりに、なるほどなあと思えるものがありました。でもやっぱり銀縁眼鏡verは見たい。


"「存じております。男女平等」"(200p)

 そんで、するっとこんなん出て来るのがまた良くてですね。家政婦の深山さん、いい味を出しておられます。

*1:話、という数え方が正しいのかどうかは知らないが

ナマイキデレーション

"帰り道、三人でいつもの駄菓子屋へやってきた。
新十郎「へぇ。渚の家ってこの近所なのか」
渚「まあね。この駄菓子屋さんも、子供の頃はよく来たよ」
新十郎「へぇ〜。じゃあ俺たち、小さい頃に会ってるのかもしれないな」
渚「そだね」
メイ「我もだな!」
新十郎「いや、おまえ去年までドイツにいただろ」
っつーか現在進行系で小さいくせに何言ってんだ。"

 こういうとこ大好きです。
 文章だけからだと、もしかするとメイさんが寂しがって「自分も自分も」みたいな感じで言ってるように見えるかも知れないけど、実際にはそういうニュアンスではないです。といって別に反実仮想的な、そうだったら良いなあ的な言い方でもない。もっとこうひょいっと、自然に口をついたように「我もだな!」って言葉は出てくる。

 今この瞬間、新十郎さんと渚さんとメイさんが駄菓子屋でスパティー飲んでわやわややっている。その景色の中に、小さい頃にも駄菓子屋で会ってたかもねなんて想像が生じたとして、新十郎さんと渚さんがそうならメイさんもそうかもねって思うのは、推論としては妙かもしれないけれど、想像としてはきっと自然だ。
 新十郎さんも「おまえ去年までドイツにいただろ」という事実/推論の審級におけるツッコミはするのだけれど、「ありえないだろ」みたいに想像そのものに対する直接的な否定をしてるわけではないのよね。

 そもそも新十郎さんの言うよう、メイさんは現在進行系でちっこいわけでね、なら今この瞬間に駄菓子屋で過ごしてること自体が「小さい頃に会って」るってことなんじゃないかなんてのはただの言葉遊びとしても、もとよりそんな想像はいい加減なものでもある。

 そんなことばが会話の中でひょいっと口にされて、そしてさしてこだわりもせずひょいっと流されることを、さて、豊穣とでも呼べばいいものだろうか。まあどう呼んでもいいけれど、つまりはいいですね好きですねーってことなのですよ。

夏恋ハイプレッシャー(2)

"月「そうだね。充実。うん、充実してるーって思う。空ちゃんが来てくれてから文句なしに」
空「大げさだなぁ。別に俺がいなくたってそれはそれで充実してるでしょ。月の性格ならなおさら」
月「くす、分かってないなぁ空ちゃんは」
そう言って一歩前に出ると、振り返って大きく両手を広げて見せる。
俺も立ち止まっていたずらっぽく微笑む月を見つめる。
「ここでまた空ちゃんと会える日を、ずっとずっと、ずーっと楽しみにしてたんだよ、わたしは」
「ここでまた会おうって約束。またここで会えるからって空ちゃんが言ってくれたの、信じてたから」
「わたしは、こうやって空ちゃんとまた一緒にいられる日を待ってたから。だから今が一番充実してるんだよ?」"

 いやね、空さんが言うのも分かるわけですよ。月さんが、空さんが居なきゃ満たされてなかったり物事を楽しめなかったりするのかと言えば、それはそうじゃないだろうと。でも月さんが「分かってないなぁ」っていうのも、それもやっぱり頷けることだ。だから、楽しいとか満たされてるとかっていうことからはちょっとだけズレた場所に、充実、って言葉はあるんだろう。

"月「わたしさ。お祭りとかみんなでワイワイやる感じ、すごく好きなんだ」
(…)「だから今年は絶対に碧空祭に参加したかったんだ。空ちゃんはちゃんと約束守ってくれるって信じてたから」
空「期待してなかったって言ってたくせに」
月「期待はしてなかったけど、信じてたんだよ。それはそれ、これはこれでしょ? あははっ」"

 だからこの月さんの言葉には、うん、と頷いてしまうわけです。
 これは別に十全な定義ではないけれども――"「空ちゃんと同じものを食べて、同じように感動して」"そんな風にして一緒に過ごせることが嬉しいことだと、そう月さんが知っているっていうことが、「信じて」るってことだと思うのです。そこに、現実にそうなのかそうでないのかは、別に関係がなくて。

 空さんと月さんが会っていなかった十年間、電話もお手紙のやり取りもいっぱいしていたとはいえ、別に電車に乗って会いに行くことだってできたはずではある。でもそうしなかったのは多分、"「もう少し大人になったらどこに居てもいつでも会えるって」"その言葉を「信じて」いたからなんだと思っていて。わざわざ遠出をして会いに行くなんてのは、二人が会うことを、ケのものでないハレのものとして扱ってしまっているみたいじゃないですか。そりゃハレでもケでも空さんと会えれば楽しいだろうし嬉しいだろう、でも月さんが信じていることとそれとは違うことのはずで。
 それをまっすぐな想いだとか、あるいは不器用だよねとか、そんな風に劇的に語ることもできるっちゃできるんだろうけど、それもなんだかしっくりも来る話でもない。結局空さんは碧空学園に来てくれたんだしさ。実際、空さんのお母さんが幼い空さんに対して言ったように、少しだけ大人になりさえすれば、いつだって会える――それは大人の視点から言えば当たり前っちゃ当たり前の、先の言葉を使い回すなら、ハレならぬケのことだったわけでね。空さんも月さんもそれを信じていたし、それはなんやかんやあったりなかったりしたとはいえ、結局普通に果たされたわけで。だから今更それを大仰に語る必要なんてなくて、ただ月さんの「約束守ってくれてありがとう」という、その言葉で過ぎたるも及ばざるもなく十分なのだと思います。

 ……とまあここまで書いてて思うけど、やっぱり精度が高すぎる。空さんと月お姉ちゃんのお話聞いてるだけでひたすら楽しいです。次はアレかな、ネコぱらに手を出してみる感じかなー。

夏恋ハイプレッシャー(1)

 飾らない言葉の端々がいちいち精度高くて、読んでて幸せな作品でした。大好き。

"月「冴子先生、違いますってば。空ちゃんとは恋人じゃなくて、血の繋がってない心の双子なんですよ? ちなみに私がお姉ちゃんです!」
「なぜわたしがお姉ちゃんなのかと言うと、空ちゃんのお父さんお母さんからも『月ちゃんは空のお姉ちゃんみたいだねぇ』と言われていて――」"

 いやもう冒頭のこの言い草からして、とても好きでねえ。
 一緒に育ったからって、どっちが兄か姉かなんて、決めてもいいし決めなくたっていい。でも幼い頃に大人からふと言われたことが心に残って、自分のあり方や意識を規定するものになることって、あるよねと思うのですよ。きっと言った方は、さして深く考えて口にしたことではないと思うのだけれども。
 姉とか兄とかなんて、理由がないのがいいと思うんです。誰が誰の面倒を見るとかそんなんじゃなくて、何気ない言葉を大事に持ち続けてることがよすがでいい。


"朱鳥「あの、夕真から聞いたんですけども、高宮センパイって一昨日くらいに編入して来たばっかりなんですよね?」
「その割にめっちゃ自然に溶け込んでますけど、何か秘訣があるんでしょうか!」
空「ブレないことかな。あとは空気を読みつつ時に流され、時に受け流して」
(…)月「こら、空ちゃん。真面目な後輩ちゃん二人に適当なこと教えちゃダメでしょー」"

 いや実際、言われてみると空さんはずいぶん自然にさくら湯の中に溶け込んでいるのだよね。それは朱鳥さんがびっくりするという程度には非自明なこと*1ではあって、でもそれは別に空さんのコミュニケーション能力が高いからとかじゃないし、空さんの性格だの能力だのが誰ぞのお眼鏡に適ったとか、誰と特別に趣味が合うとか気が合うとかノリが合うとかっていう話でもない。さくら湯の面々だって懐は広いけど、誰でも彼でも同じようにしたというわけでもなかっただろうし。
やっぱり最初のキッカケとしては空さんが月さんの"弟"だったっていうことも大きかったとは思うし、空さんも弟気質の強いいい子なんだけど、でもなんか結局、そこに大した理由はなかったように思う。空さんの人柄とかさくら湯の面々の人柄が噛み合って、たまたまそうなったのかな、というか。

"美咲「ふーん、そうなんだー? やっぱそうなんだー?(ニヤニヤ)」
空「何その愛想スマイル。何がそうなのさ?」
美咲「あたしが持つって言っても、何だかんだ言いながらあたしには持たせないくせにーってこと」
「ほら、息も上がってるし汗も出てるし腕もぷるぷる言ってるけど大丈夫?」
空「全然大丈夫じゃないッス。今にも死にそうッス。男はつらいッス」
美咲「あはは、そうだね。でもそういうつまんない意地張っちゃう男の子って可愛いなって思うよ、女としてはさ」
「じゃあ最後まで意地張り通したら、お望み通り可愛く褒めてあげるわよ? ほーら、頑張れ頑張れ男の子♪」
そう言いながら俺の背中をぽんぽんと叩く。
……本人は無自覚なんだろうけど、これだけで十分可愛くてやる気出ちゃいますハイ。
こういう女の子が上手く男を転がすって言う女の子なのかもなぁ。
転がされてる側も嬉しいWin-Winの関係と言うか。"

 ここでも別に空さんは、ことさら美咲さんを女子扱いして荷物持たせないわけでもないとは思うわけですよ。そういう、「敢えて」異性扱いしちゃうような距離感じゃあない。でもそうは言っても、ギリギリ持てそうな荷物だったら、つい一人で持とうと頑張っちゃうわけじゃないですか。それが美咲さんにとってはくすぐったくも可愛らしい、意図せずに零れたオトコノコっぽさだった。逆に、美咲さんが背中ぽんぽんしてくることは、空さんにとっては無自覚なオンナノコっぽさだったわけですよね。
 飾らずに居るからこそ、「敢えてしているのではない*2」ものごとについ異性っぽさを感じてドキドキしてしまうようなこそばゆさが高まるのだよねと思う。こんな風に美咲さんに対して空さんがたまに童貞力が超上がっちゃうとこ、ほんと好きですね。個別ルートのお見舞いの辺りとか、完全にラブコメヒロインしてましたからね、空さんが。

*1:会って数日で仲良くなれるのが当たり前、ではないのだ、というかね

*2:より正確を期すならば、「敢えてしているのではないという了解の上で行っている」と言うべきだろうけれど

猫忍えくすはーと

 「お手紙」と来た! 即死級のパワーワードですよもう。食らったら死ぬしかない。

"たま「〜〜♪」
ゆら「姉は真剣に悩んでおるのだぞ。何をしている、たまよ」
たま「お手紙書いてるの」
ゆら「文(ふみ)で我らの想いが届くのなら苦労はしない」
たま「お手紙もらったら嬉しいもん」"

"たま「グスッ、グスッ……どうして来てくれなかったの」
春希「頑張ったんだよ? 頑張ったんだけど、何が書いてあるのかわからなくて……」
たま「あああああああ〜〜〜〜〜〜んっ!」
春希「だよねぇ!? ごめん、本当にごめんね!」
たま「ひく、ひくっ……たま、いっしょうけんめいお手紙書いたのに」
春希「ごめんね僕の頭が悪くてごめんね!?」
たま「……ごしゅじんさまのばか〜」
打つ手なしで、とにかくたまちゃんの頭を撫でながら平謝り。"

 そして春希さんが、ここでたまちゃんを怒ったりしない人で良かった、本当に良かったのです。春希さんが、押しかけ忍者であるところのゆらさんたまちゃんの存在に納得してるわけじゃなくても、それはそれとして拗ねてる小さい子に対して頭ごなしに叱りつけたりする人でないということ、実に有難いことでした。拝みたい。
 かようにゆらさんもたまちゃんも無邪気だし、春希さん側にしても根が包容力のある人なんだけど、いわゆるコミュニケーション能力というのか、お互いの考えをすり合わせたりとかが上手くはないですね。そんなイノセントな彼らに対して大人の立場から親切にしてくれる人がいないのは、なかなかどうして見ていておっかなくもある。

"二人とも寝るのすごい早いし。
春希(話したりするのは無理でも、せめて寝顔くらいは……)
主従とかそういうの通り越して、気分は完全にお父さんだ。
「9時、9時かー……どうしよう、おみやげくらいは――」"

 ゆらさんたまちゃんを養うためにしたことが肉体労働系バイトである辺り、なんとも世知辛いです。春希さんは学校の後のバイトで疲れ果てちゃってて、授業中は起きてるのもしんどいから教師からはガチで怒られるし、それでもあんまり気にかけてくれる友達も居なさそうに見えるし。家賃2万3千円のいい物件が見つかったと喜んでも、身元保証人の問題で弾かれる。
 普通の高校生だから経済力もないし、それでいてあんまり周囲や家族からサポートが受けられる感じでもない。そんな状況じゃ普通の猫を飼うのだって楽じゃないものを、猫忍者と来ればなおのことだ。それは全くもって正論なんだけど、どうにもこうにも世知辛いことではある。

"ゆら「ハルキ殿は一体、なんのためにこの学校というところに通っておられるのでしょうか?」
春希「……難しいこと聞くね」
ゆら「あるばいとは、労働の対価として報酬を得るという意味でわかるのですが」
たま「ほんとだー? おねえちゃん賢い」
ゆら「みゃーん♪ なんのなんの」
たま「がっこうなんて別に行かなくていいのにね?」
遅かれ早かれ、二人がたどり着くべき疑問だったのかもしれない。
「がっこうよりも、たまと一緒にひなたぼっこしたり、にゃんにゃんして遊んだ方が楽しいよ」"

"春希「さっそくっ!? 学園で勉強するのは、将来のために必要なんだよ」
たま「将来って?」"
"たま「たまと遊ぶよりもがっこうの方がいいの?」
春希「……たまと仲良く一緒に生きていくためには、ちゃんと頑張って学校に通わないとダメなんだよ」"

 いやね、これはほんとに悩ましい話ではあるわけです。学校行くのが春希さんにとって「正解」なのかは分からないよね。そりゃ高等教育受けて高いお給料貰えるお仕事に就いて二人を養って、というのは一つの道なのだけれど、そんなこと言っても現状で既にバイト漬けで学業は疎かになってしまっているわけだし。
 そういうのって結局は周囲の手助けとかセーフティネットとか働いてくれないとどうしようもないんだろうけど、そもそも猫忍者自体が戸籍のない存在であるから容易じゃない。そもそもたまちゃんは字が読めないっていうのが、化外の民感出してて激しい*1
 物語の最後でようやくその「周囲」の存在が見出されるのだけれども、それも相当アングラ感漂う存在であって*2、かなり危うい印象ではある。
 春希さんたち三人の結びつきはとても愛おしいもので、幸せになって欲しいのだけれど、先行きはなかなかどうして不透明だよなあ。良き作品であったとは言えるけれども、なかなか悩ましい読後感でもありました。これからのあの子達の道行きが明るいものであって欲しいなと祈ってます。まあ、それしかできないですね。

*1:なお字の読み書きができないたまちゃんがどういう「お手紙」を出したかについては、プレイしてのお楽しみ

*2:あの人達、もうちょっと手続き的正しさを重視してくれないですかね……

ワガママハイスペック アニメ版のBD特典ADV

 ワガママハイスペックOCが発表されたこととは特に関係はないのですが、先日ようやくプレイしたアニメBDの特典ADVの感想。
 いや、こういうの書きたくなるくらい、ほんと良かったのですよ。アニメだと尺の都合でみんな早口気味だったのが、ADVだといつものペースで喋ってくれるのがまず良かったわけですが。いや当たり前と言うなかれ、こういうの安心感ありますね、やっぱり。

"未尋「兎亜ー! お菓子いっぱい買ってきたよー! 今夜は騒ぐよー!」
かおるこ「あ、ご、ごめんね兎亜ちゃん。未尋ちゃんが絶対入れてくれるからって呼び出されて……」
アーシェ「ねぇ未尋……お泊りセットって本当に必要だったの?」
兎亜「うるさいよ3人とも……近所迷惑になるし」
かおるこ「そ、そうだよね……ごめんね」
兎亜「はぁ……」
「……とりあえず、上がったら?」"

 んでぐっと来たのがね、ここですよね。鳴海家の玄関前にお泊りセット持って立ってわいわいやってる三人の姿を見た時の、この感じ。いや何と呼べば良いのか、一体、偶有性とでも言うのかなあ。

 最初、アニメ版に幸樹さんが出ないと聞いた時、ふむむ、と思ったわけです*1。元来の生徒会組と一年生ふたりって、そんなに長い nor 濃い付き合いではないわけですよね。もともと、幸樹さんを介した出会いみたいなとこはあった。だから四人の会話ってのはどういうかたちになっていくものかなと、気になる話ではあったのです。そしてこのエピソードは、それに対するひとつの、とても素敵な答えであったかなと。

 この時、かおるこさんにしたって、兎亜さんが本気で凄く嫌がるだろうと予想しているわけではないだろうと思います。これまでの付き合いもあるし、ホントは寂しいんじゃないかなみたいに思う所もある。でも本人が要らないって言ってるものを押し付けるもんじゃないよねっていうのは当たり前の話だ。それは前に使った言葉をもう一度引っ張ってくるなら、礼儀正しさ、というやつで。

 そこで先輩二人をわざわざ引っ張って鳴海家に押しかけちゃう未尋さんは、伊達に兎亜さんの親友を名乗ってはいないわけで、もちろん兎亜さんの気持ちについては、先輩達よりもずっと強い確信がある。でもそれはそれとして、そもそも兎亜さんが寂しいことって、押しかけ「ねばならない」事情ではないですよね。本物の兎じゃないんだから寂しい思いで死ぬわけじゃなし、それにもし兎亜さん家に行くとしたって未尋さん一人でも良かったかもしれないし。
 結局は未尋さんの楽しそうにしているこれは、未尋さん自身のワガママと呼んでもべつだん差し支えはあるまい。そしてそれだからこそ良いと、そういうもので。

 誰かのためなんかではなく、何かのためでなく、何の帰結でも必然でもなく、単にそこには楽しく過ごす夜がある。夜は短し騒げよ乙女とはよく言ったものです。いやもう、存分に騒げばいい。それに尽きる。

"アーシェ「……急にわたしたちが押しかけたから、疲れちゃったのかもしれないわね」
かおるこ「……悪いことしちゃったかな」
未尋「兎亜は嫌がってないと思いますよ。本当に嫌なら、絶対に家に上げませんし」
「それに兎亜がこんな安らかに寝てるなんて、私と先輩以外の前では初めてです。懐かれてるってことなんだと思いますよ、お二人とも」"

 ここで"懐かれてる"って言葉が選ばれるのがまたよいわけですよ。かおるこさんやアーシェさんのどこが好きだとか、そういう語り口じゃない。そういうんじゃなくてさ、ただ懐いてるのか、懐いてないのか。お泊りパジャマパーティーして楽しいのかどうかを決めるには、それだけで十分でしょうと。

*1:本編やるまでアニメ情報はシャットアウトしてたので

枯れない世界と終わる花(3)

"レン「みんなおうち、一緒じゃないの?」
コトセ「それは……」
コトセが言い淀む。
ユキナ「昔は一緒だったんだけどね。お年ごろってヤツ?」"

 エピローグ(というか個別ルートというか)ではもう一度みんなで暮らそうかみたいな話は全然出てこないけれど、それは感覚的にすごく納得できることだったのですよ。エピローグの後のあの場所で、ショウさん達が一緒に暮らしてないから部分的にでも幸せじゃないんだとか、一緒に暮らしたらもっと幸せになれるんだとか、何かこう、そういうのじゃあないよね、と思う。
 それに、店がなにかの中心とか核とかっていう風には感じないのね。いやもちろん、お店は幸せな場所ですよ? けれど、その場所が家族とか幸せとかの核であって、そしてこれまでハルさんたちがその幸福から疎外されていたんだ……とか、そういう風には全然思わなくてさ。

 と、そこまで考えた時に、ああ、と唐突に納得が行ったんですよ。
 これは、すごく語弊がある乱暴な言い方になってしまうことを承知で言うのだけれど――最初から、それこそショウさんが来る前から、ファミーユでハルさんたちは幸せを抱えていたんだよな、と。


"ハル「……ずっと、こんな日が続けばいいのに」
「最近は、そんなことばっかり考えちゃって」
紅茶を揺らしながら、小さく呟く。
ショウ「……そんな重たい”羽”を持ってるのに、か?」
ハル「はい」
困ったように笑いながら。
でも何の躊躇もなくハルが頷く。
「つらいことがあっても、楽しいこともありますから」
「そんな幸せでも、願うのはおかしいことでしょうか?」"

 幸せとは別にどうしようもない苦しさがあったとしても、そのことによって幸せそのものが否認されるわけではない。そりゃそうなんだけど、辛そうな表情や泣き声を聞いてしまうと、どうしてもそっちに気持ちが引っ張られちゃうのだよね。でもそれは、正しくないのだな。
 どこまでも続いていく苦しさと罪に侵されて、異様な何かに心を侵食されて、自分が自分ではなくなっていって、家族と一緒に暮らすこともできなくなって……それでもなおやはり、幸せが幸せでなくなるわけじゃあない。それでもなお、ハルさんコトセさんユキナさんがお店で過ごしていた時間は幸せなものなのであって、苦しさだけに目を絡め取られてそれすらも不幸と呼んでしまうのは、唾棄すべき単純化というものなのだな、と。

 "嘘だらけの幸せでも"とはあの夜にショウさんが呟いた言葉だけれども、それは幸せ自体が嘘だったことを意味するわけじゃない。だから、新しく何かを得ようとするならともかく、何かを取り戻すみたいなことをする必要なんてないのね。