CUE! / エピソード"Secret Garden"


 まほろさんが結構びっくりするようなこと言い出すんですけど、詳しく聞いてくとなんだかこう微妙に言いがかりというか、絡み酒っぽい雰囲気も漂いはじめる。いやいやまほろさん、「抱えた闇」て。

まほろ「あのさ、美晴。前から聞きたかったんだけど。」
美晴「なあに?」
まほろ「あんた、ちょっと不自然なんだよね。」
美晴「え? なあに不自然って?」
まほろ「あんたのその人格っていうの? ちょっと、出来すぎてるっていうか。」
「ほら、言うでしょ? 強く輝く光ほど、抱えた闇は深いって。」
美晴「やーだ。わたし、それほど強く輝いてるつもりもないし、闇も抱えていませんけど。」
まほろ「昔、何かあったりしたんじゃないのかなっ、てさ。今でも癒えないトラウマみたいなの。」

 もちろん人の心の中なんて分からないものだし、仮に美晴さんの過去に思わぬ事件やら秘密やらがあったっておかしくはない。

 (2020-10-25追記:先日実装されたイベントストーリー『夢現即興曲』では、美晴さんの過去についてのまほろさんの発言1が真実をかすめてたのかもしれないことと、だけどそれは抱えた闇などではないということとが語られていたと――だからやっぱり後述する"トラウマが今の美晴さんを規定しているわけではない"という見方は正しいのだと――勝手に受け取っています。)

 でも美晴さんが美晴さんであること、美晴さんの振る舞いや言葉は、 揺るがぬ信念や過去のトラウマといった、くっきりした輪郭を持つ何かに基づいているわけではないだろうと思っている2。 まあそもそも美晴さんって別に光り輝く善人を演じてる風には見えない、というのもあるけど3

 まあまほろさんも、もしかしたら本当に美晴さんにはそんなドラマティックな事情があるのかもなんて思ってはいても、 トラウマ云々はそこまで本気というわけでもなさそうには見える。 ただ、隠しごとの話題になって、美晴さんって出来すぎでズルいよなあと普段思ってたのを、お酒の勢いや、話の矛先を自分から逸らすためもあってつい口にしてみたのかな。


 かように、まほろさんは今日はまほろの話はなしだからなんて言うし、美晴さんは美晴さんでにこにこしながらまほろさんのことばかり聞きたがって、互いに互いが相手の隠し事を聞きたがる夜だった。

美晴「ねーえ、まほろ、人の話の途中で、話題変えるのずるい。」
まほろ「いやいや、今日はまほろの話は無しだって言ってるじゃん。」
美晴「ええ、それ、後出しじゃない?」
まほろ「美晴のほうこそ、いつの間にか人を自分のペースに取り込んじゃうしさ。」
「ほんと、上手いっていうか、なんていうか。自然とそうなる、天性のオーラっていうか。」

 それは傍から見れば、ただの酔っ払い同士の、詮ないばかりの水掛け論だ。 だけどそのとりとめのなさをこそ、何より大切なものと感じる……そんな夜でもあったのです。


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 実際、まほろさん自身の言うよう、お互いに口にしてないことなんかいくらだってあるだろう。 トラウマだの心の闇だの、そんな大層なものでなくたって、毎日いろんなことがあるのだし。

 例えば自分の持ってないものを持ってるように見える人をずるいなって思ったり、 相手が悩みを自分にだけ打ち明けてくれないように見えて4なんだか寂しかったり、 仕事で上手くいかなくて自己嫌悪に陥ったり……でもそんなの別におおっぴらに口にしたいものでもないし、 そもそもそうした気持ちが胸をよぎったとしても、それをはっきりと自覚する前に曖昧になって他の気持ちに紛れちゃうことだって多いだろうと思います。 そういう表に出したくない気持ちっていうのは、自分であえて自覚したくないような気持ちであることだって多いのだし。

 もちろんそういうものだからこそ見せてほしいとも思うんだろうけど、 でもそんな気持ちについて「これこれが私の秘密です」なんて身構えたような説明をしたところで、それはきっと感じたことそのままの形ではない、どこかしら嘘っぽさを含む語りになる気もしてしまう。 意図的な嘘じゃなくて、無意識に話を創り上げてしまったり、言いにくい部分や表現しにくい部分が抜け落ちてしまったり、そういうことはどうしたってあるので。

 だからそんな隠しごとを教えてって言われたって困るものだし、それよりそっちの話を聞かせて、なんて言い返したくなるのも道理といえば道理だ。 まあ両方ともがそれを言い出すと、こういう水掛け論になっちゃうんですけどね。


美晴「うふふ。……そう言えば、他にも聞きたいことあるの、わたし。」
まほろ「何?」
美晴「まほろ、莉子と仲良すぎじゃない?」
まほろ「はあ!? 何言ってんの? 全然そんなことないんだけど。」
美晴「それとも、絢との仲のほうが、いいのかな?」
まほろ「いや、それもそれで無いし。」
美晴「うふふ。ムキになって否定するところをみると……。」
まほろ「ああ、もう、まほろの話は無しだって言ったんだけど!」
「っていうか、ほら! いつの間にか美晴のペースになってる。」

 でも考えてみれば美晴さんはこのとき、まほろさんの隠しごとについて尋ねてるんだろうか、それとも自分の普段口にしない気持ちをこっそりと明かしてるんだろうか?

 まほろさんが隠してるものを知りたくなる気持ちは、美晴さん自身が隠している(たとえば焼き餅めいた)気持ちと、なんだかどこかで繋がっているようにも思える5。 冒頭のまほろさんの問いかけも実はそれとよく似ていて、美晴さんの秘密を尋ねてるようでいて、まほろさん自身の屈託を明かしてしまっているようでもある。

 だから、つい胸の奥にしまい込んでしまった気持ちは、教えてと「言われた」ときよりも、教えてと「言う」ときにこそ、思わず少しだけこぼれ落ちてしまうものなのかもしれない。 だけどまほろさんはそんなことには気付かないで、いやいや今日はまほろの話じゃなくて美晴の話を聞く日なんだけど、なんて言い返すのです。


美晴「うふふ。あ、それでね、まほろ。あのね……。」
まほろ「何よ? まほろの話は無しだからね。」
美晴「えっとね……。」

 この後、お酒をちびちび飲みながら二人がどんなやり取りをしたのかは、秘すれば花とばかりに描かれないのだけど(まあ単純に尺の都合というやつもあろう)、きっと色んなことがぽろりぽろりと話されていったのでしょう。

 お互いの隠してるものを教えてって子供っぽく言い合う、この夜のとりとめのないやり取りは、とりとめのないものだったからこそ、二人をまた一歩だけ親密にしたのだと思っています。



  1. 上記引用部の直後の言葉が、あるいは、おそらく。どうあれ憶測にしかならないんですけどね。

  2. 前にTwitterにも似たようなことを書いた気がする。この辺については"雲がちぎれる時を"の話で改めて触れておきたい気持ちはあります。

  3. 例えばメインストーリーWind編の"こんいた"原作者さんとのやり取りとか、わざとやるにはあの振る舞いは嫌味すぎるわけで、いやさすがにわざとじゃないでしょうとは思う(背理法)。

  4. 反省会しようって誘ったけど袖にされちゃって拗ねてたら、まほろさん一人で飲んでたんだもんなあ。

  5. だからといってここで、美晴さんの隠しごととは、まほろさんが莉子さん絢さんとばかり深い話をしてて、自分が除け者になってるように見えて妬いていることなのだ――などと合点するのも違うだろう、ということは確認しておきたい。美晴さんはそうは「言っていない」からです。美晴さんの中にどんな気持ちが隠れているのか、それを決める権利があるのは美晴さんだけだから。だからやっぱりここでは、隠しごとはちゃんと隠されたままなのです。

CUE! / エピソード"リンケージ・マイナー"


 関係性という言葉は、AさんはBさんのことをこう思ってこう接していて、BさんにはAさんがこう見えていて……というような、互いの主観をまたぐ、一歩引いた場所から見ることで成り立つ言葉だろう。でもこのCUE!という作品を読むにあたっては、そんな場所に立って見えてくるものは、多分そう多くない。


鳴(今日の大型アプデ。強武器も下方入ったみたいだし、早くやりたい……。)(…)
鳴(今日は張り付く。絶対に。)
利恵「ふふ、じゃあ帰ろ?」

(※引用者注:アイキャッチと場面転換)
鳴(……で、なんで今ここにいるの……?)
凛音「すごいよみんな! あっちに羊がいるんだってー!」
聡里「ちょっと凛音! 急にどこか行くのは止めてってば!」
利恵「いきなり電車から降りちゃうんだもん……。我輩もちょっと寄りたいとこあったのにー。」

 久々に四人揃って同じ現場で仕事した帰り道、鳴さんは早く寮に帰ってアップデートされたゲームがしたいと思っていて。 だけど凛音さんの突然の行動に利恵さん聡里さんも引っ張られて、あれよあれよと鳴さんまで遊園地で遊ぶことになってしまった。 とはいえ別に縄を首にかけられて無理やり引っ張ってこられたわけでもなし、鳴さんは自分の足でついてきたのも事実ではある。

 だからこの突然の場面転換は、そんな自分が何故ここに居るのかがぴんと来ない鳴さんの心情に寄り添った、彼女自身の主観に映る景色であろう、と思われる。


聡里「でも……、最近、ちょっと考えることがあるの。」
鳴「考えること?」
聡里「こういう機会って、次いつあるかわからない。もしかしたら、これが最後かもしれないって。」
鳴「……。」
聡里「そう思うと、もったいないのかなって。」
鳴「……そう。」
聡里「……変だと思う?」
鳴「ううん。間違ってないと思う。」
聡里「ふふっ、ありがと。」
「だから、今日はみんなに合わせようと思っているの。たまにはね。」
「私たちは私たちで楽しめる部分だけでも楽しむ。それでいいんじゃない。」
鳴「……そうだね。」

 そのぴんとこない心境に対して「鳴さんは、自分ひとりで好きなゲームをする時間より、仲間と過ごす時間が大事だからこそ来たのだ」という説明をつけるのは、完全に的はずれなわけでもないだろうが、正確でもあるまい。

 みんなに合わせると言っても、たとえば聡里さんも途中で資料館に一人で行ったりもしてるし、いつでも一緒に過ごすという意味ではない。 そもそもここでの会話は、チームの四人がいつか離れていくことを前提としてなされているのだし。

 だから、なんていうかな。一人で過ごすより皆で過ごす方が優先だと四人全員が考えてたみたいな、そんなはっきりした優先順位があるわけじゃないですね、と。


 二人だけで過ごす時は、どこに行くかも何をするかも、お互いの意思をひとつひとつ丁寧に確認しながら決めていくこともそう難しくはない。 でも「ひとが三人以上集まると社会ができる」と世に言う通り、三人、四人と人数が増えていけばいくほど、意志決定の経路は複雑にも曖昧にもなる。

 四人が遊園地を訪れ、駅のお茶屋さんで夕暮れの時間を過ごした出来事は、成り行きもそうでないものも含んだ様々な気持ちによって駆動されていて、そこにはグループとしてのまとまった意思みたいなものがあったわけではない。

 だけど、うつろっていくその瞬間を大事にしたいという気持ちだけは、間違いなく四人全員が共有していたんだろう。


利恵「うぅ……、行けると思ったんだけど……。」
鳴「はい、お水。」
利恵「ありがと……。ごめんね、手間かけさせちゃって。」
鳴「いいよ。利恵のおかげで凛音さん、すごく楽しそうだったから。」
利恵「そうかな? なら良かった。」

 ここで利恵さんが、凛音さんに対してはカッコつけつつも鳴さんと二人になったらへろへろな姿を見せてることを、「鳴さんは特別だから」という理由だけで説明してしまうのは、あまりうまくないように思われる。

 もし仮に利恵さんが鳴さんを特別扱いしていたとすれば、それは凛音さんを会話の除け者にするということだ。 でも実際にはこの会話では鳴さんが「凛音さんを楽しませてくれたことを利恵さんに感謝する」ことで、凛音さん側に立つ形になっている部分さえある。

 ここにあるのは利恵さんと鳴さんの二人だけの関わりではない。ちょっとした言葉のかたちに現れるそれが、くすぐったい。


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鳴「……ねぇ、利恵。」
利恵「ん? どうしたの?」
鳴「変わったよね。みんな。」
利恵「……うん、そうだね。」
鳴(2人だけで見ていた世界。)
(でも、今は……。)

 きっと鳴さん達の変化というのは不連続なものじゃなくて、今この瞬間にすらちょっとずつ変わっていくような類のものなんだろう。 5月末の初夏の夕暮れはあっという間にうつろっていくもので、実際この時間が一瞬のものであるのだろうことは、このエピソードを読んでいて、まさに肌身に感じられることだった。

 でもその橙色の陽射しには、ともすれば軽く汗ばむくらいの熱があって、そこにはセンチメンタルさやメランコリックさのようなものは欠片もない。 そんな夕暮れのなかの四人それぞれの身の置き方が、とてもよいイラストだったと思います。

 少しだけくにゃりと背を丸めて、柔らかな眼差しで暮れなずむ世界を見ている鳴さんの姿がいっとう好きですね。 どこか無防備にも見えるくらいに力の抜けた自然体のままに利恵さんと手を重ねている、その身体感覚がすごくいい。


CUE! / エピソード"What a girl wants"


 柚葉さんが今朝方から居ないと思ったらシンガポールに飛んでて、それは実は昨日千紗さんとした会話がきっかけで……という成り行きの会話。

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千紗「うん、柚葉からみたい。……はい、もしもし。」
柚葉「チサ~! 久しぶり!」
千紗「そんなに久しぶりじゃないでしょ。」
柚葉「うふふ~!」
千紗「それで今、本当にシンガポールなの?」
("What a girl wants" ep2より)

 物理的には昨晩にもおやすみって言葉を交わしたばかりなんだろうけど、でも柚葉さんが久しぶりって口にするのも、それはそれで正しいですね。 柚葉さんはいつもとても楽しそうに千紗さんと話す印象があるけれど、この時の柚葉さんは普段よりなお二割増しくらいで嬉しそうに見える。

 東京とシンガポール、電話越しの会話が普段よりどこかくすぐったいのは、時差1時間1の距離の先にある、目に見えない相手の様子を思い描きながらお喋りをするからだろうか? きっと千紗さんはいつもより少しだけ心配の量が多いし、柚葉さんもいつもより少しだけ伝えたいことが多い。でも電話越しの会話だから、きっと伝わる情報の量もいつもよりちょっとだけ少なくて、どこかもどかしくもあるだろうか。


 柚葉さんは自分の言動や行動に千紗さんがツッコんだりしてくれるときはいつも楽しそうにしてるんだけど、でもそれはきっと、べつだんわざと変なことを言って反応を引き出そうと企んでいるわけではない。

 そうではなくて、柚葉さんの中にある本能や楽しいことを探すセンサーの指し示すままに行動してみたとき、たくまずして千紗さんがそれにツッコんだりびっくりしたり喜んだりしてくれるのが嬉しいのかなと思っています2

 柚葉さんがシンガポールに行ったのも、故郷の炒飯を千紗さんに食べさせてあげようと思いついたのが発端なんだけど、でもそれを千紗さんを喜ばせるための企みと呼ぶとなんかちょっと違う気がするよね、というのも同じことで。

 つまり、なんていうかな。このコミュニケーションには「ツッコミをもらう」とか「千紗さんを喜ばせる」みたいな、達成すべきゴールが予め設定されてたりはしない、と言えばよいだろうか。


 ゴールの設定された会話では、相手の反応がそのゴールに近いのか、それとも離れているのかをひとつひとつ確認しながら会話をしていくものだろうと思います。喜んでくれるはずだと思って口にしてみた言葉への反応が薄かったので、ちょっと言い方を変えてみる、とかね。

 ひるがえって、ゴールがない会話において電話越しの相手の様子に思いを馳せるとき、会話のイニシアチブを取っている人がいないときの、独特のくすぐったさが生まれるものかなと思う。


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千紗(しかし、お財布に厳しいなぁ~。)
柚葉「チサって本当に優しいんだね。私、チサみたいなお姉さんほしいな。」
千紗「……。」
柚葉「なにも言ってくれないの?」
千紗「精算しないと。」
柚葉「あー! 待って待って!」
("シスター・シスター" ep2より)

 エピソード"シスター・シスター"での、この千紗さんと柚葉さんのやり取りも大好きなんです。

 柚葉さんは「私、チサみたいなお姉さんほしいな。」って想像を巡らせるみたいに目を閉じて、そして千紗さんがどんな反応を返してくれるかを待つんだけど、当の千紗さんはお財布の中身に気を取られてたせいで反応がなくてね。 だから柚葉さんは予期をすかされるんだけど3、それは会話のイニシアチブがどちらにあるわけでもないから起きたことなんだろう。

 それで柚葉さんの様子に気付かないままの千紗さんがレジに向かっちゃって、柚葉さんは待って待って!なんて言いながら追いかけて――そんな風に二人の時間は流れてゆく。


あいり「でも、柚葉ちゃん、楽しそうだったね。昨日の夜の写真。」
千紗「そうね。」
「50枚くらい写真が送られてきたのは、ちょっと嫌がらせに近かったかな。」
あいり「きっと、千紗ちゃんに見せたかったんだよ。シンガポールの景色。」
千紗「そう? 何も考えてないだけだと思うけど。」
("What a girl wants" ep3より)

 だからここでのあいりさんと千紗さんの言葉は、きっとどちらも正解だ。

 シンガポールからたくさん送った写真をどう受け止めてほしいかを、柚葉さんは別に決めてなかった、考えてなかっただろうと思います。 だけど柚葉さんがその時々の気持ちのままに写真を送った理由を後付けで言語化するなら、それはやっぱり「千紗さんにその景色を見せたかったから」で、そしてその景色を見た千紗さんがどんな気持ちを抱いてどんな言葉を返してくれるかは、蓋を開けてのお楽しみ、なんじゃないかなと。

 空港から帰ってきた柚葉さんを千紗さん達三人が寮の入り口のとこで迎えるのがまた佳いのです。 もちろん千紗さんも口にする通り別にわざわざお出迎えなんてする必要はないんだけど、でもきっと、なんだかそれをしたい気持ちになったんだよね4。 そしてそれは、電話口の向こう、5000km離れた場所でお互いがどんな顔してたのかの答え合わせでもあったんじゃないかな。


  1. 行ったことないですが、物理的な時差は約2時間で、標準時では1時間の時差らしい。

  2. そもそも柚葉さんと千紗さんは感性含めた色々なとこが違ってて、柚葉さんから千紗さんの行動や気持ちを予測するのもその逆も、そんなに正確にできてはいないだろうと思います。だから柚葉さんに千紗さんがツッコむそのやり取りは、仕組まれた予定調和にはなりえない。余談ながら、その辺については"ランチタイム・アップデート"での千紗さんの振る舞いもとても好き。

  3. 千紗さん側がちょいちょいずっこけさせられてたことへの仕返しみたいになっちゃってるのも、見ていて楽しい。本人にそんなつもりは全くないんですが……。

  4. たとえば柚葉さんが出かける時にはちゃんと見送ることができなかったわけで、その代わりみたいな気持ちもあったりするのかも、とかね。

CUE! / エピソード"dig down メモリーズ"


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 ガチャのあるゲームに色々触れる中で、こういうゲームって「何を描かないことを選ぶか」は大事だなーと感じるようになった。ガチャを引かないと読めないエピソードがあるなら、そのエピソードを読める人も読めない人も、どちらもいる前提で他のエピソードは描かれないといけない。だから、例えば誰かの気持ちを描くとき、その気持ちに至るまでの過程にひとつひとつ細かな説明を積み上げていく、みたいな語り方は難しくなりがちだ。

 でもそもそもの話、言葉にしたくないこと、語り方に困ること、言葉にした端から嘘になってしまうこと、そんなものはたくさんある。

 「細やかな心理描写」というのは褒め言葉としてたまに使われる表現だけど、一口に細やかといっても、ただ事細かな描写に淫するなんてのは厭らしいだけだったりもする。だから別に媒体なんて関係なく、単にごく基本的な話として、何を描かないかの選び方は大事ですね、というだけのことかもしれないけれど。


まほろ「少し……、思い出した。タイムカプセルに何を入れたか。」
美晴「なにをいれたの?」
まほろ「多分なんだけど……、作文。」
美晴「うん。」
まほろ「で、これも多分なんだけど、どうせまほろのことだから、世の中を斜めに見た、生意気でくだらない文章だと思うの。」
美晴「うん。」
まほろ「ねぇ、ここまで来てなんだけど……、帰らない?」
美晴「ええ?」

 まほろさんの"生意気でくだらない文章"が残ってるだろうという言葉は、実際それらしい、筋の通った予想ですよね。

 別にトラウマとかそういう深刻な話ではない。 小学校時代のことだって、平気っていうのはまほろさんの強がりではないだろう。 仮にタイムカプセルから出てきた作文を読んで、それが予想通りのものだったとして、まほろさんは幼い頃の自分を少し嘲う程度のことで、きっとすごくしんどい思いをするわけじゃない。

 でも、予想通りの厭なものを見せられる――そういう微温的な苦痛が、むかしの自分に対する倦厭の味でもある。


 幼い頃の自分を、無かったことにしたいわけじゃない。 でもよくよく知っている自分自身についてのことだ、どうせつまらない結果しか待ってないとしたら、それは記憶の片隅にでもひっそりと眠らせておくのが上等で、あえて掘り返すのは野暮にも映る。

 もし仮に、実際に目の前で10年前の幼い自分がくだらないことを言ってきたのなら、まほろさんも彼女らしい優しい皮肉を返してあげることができたかもしれないけれど、残念ながらそんな風に過去の自分と言葉は交わせたりはしない。だからまほろさんにとってタイムカプセルの中の作文は、読まず眠らせておきたい言葉に見えていたのかなと思う。


 だけど結局タイムカプセルは掘り返すことになって、夕暮れの小学校の校庭で美人さん二人、スコップ片手に油田が出るだの温泉が出るだの、とぼけた会話をしながら地面を掘ってる絵面がとてもよくてね。 美晴さんは「うん。」「うん。」って真摯にまほろさんの言葉を聞いてはいるんだけど、でもやっぱりその屈託にはぴんと来てないっぽいんですよね(美晴さんらしい話だ)。 でも何だかんだで東京から遠く名古屋の小学校までまほろさんを連れてきて、そして楽しそうに地面を掘り返している。別にそこまで強引というわけでもないはずなのに、不思議な話です(これもまた美晴さんらしい)。

 それで手紙を開いて読んでみれば、今のまほろさんが予想してたことは、10年前のまほろさんにとっても予想通りなことで、そこは確かに二人とも間違っていなかった。だけどその後に続く問いかけは、今のまほろさん側の予想の中にはなかったもので、そしてなにより驚きだったのは、その問いかけへの今のまほろさんによる答えもまた、10年前のまほろさん側にとって予想外なものだったらしい1ということでした。

 今のまほろさんと10年前のまほろさんの両方ともが予想を裏切られているとこも好きだし、だけど全部が全部予想外だったとか、予想外だったおかげで救われたとかっていう話じゃないところもすごく好きなんです。

 さっきも言ったとおり、作文の内容が仮に予想の範疇から出なかったとして、それでまほろさんが激しく傷つくわけじゃない。 同様に、仮に10年前のまほろさんの予期が合っていたとしても、それでもまほろさんは"大丈夫"だったはずだし、今と同じようにちゃんと自分自身を好きでいて"頑張れ"ていただろう。

 そんな風にまほろさんの考え方や立ち方への敬意をきちんと払って、その上で彼女の予期が外れる出来事を描いてくれているのが好きなんですね。


 付け加えるなら、10年前のまほろさんについては、作文のテキストそのものとそれを読み上げるまほろさんの(心の)声が示されているだけ、ということも心に留めておきたい。 10年前のまほろさんが何を考え何を感じていたかを本当の意味で知ること、語ることは今となっては誰にも2できないわけだから、それはとても真っ当な態度だ。

 読んだところで詮のないものと思っていたところに、驚くような言葉が見つかることもある。 でもだからといって、何もかもすべてを仔細に読んで/語っていけばいいとか、そんな風なものでもない。 一度は静かに眠らせておきたいと思った言葉を躊躇いながら掘り起こす、逡巡のある場所に踏み込むお話だからこそ、誠実で遠慮深い語り口がうれしい。



  1. 10年前のまほろさんは、自分の問いかけに対してYESという答えが返ってくる可能性が高いと予想していたように思える――とはいえ、当時のまほろさんにはNOと答える自分が想像できなかった、という方がきっと正確なのだろうけれど。

  2. 言わずもがな、今のまほろさん自身にも。

CUE! / エピソード"グロウアップ・デイズ"


 夜の闇に灯る無数のイルミネーションというのは、悪い意味でなく、どこか落ち着かない気持ちを呼び起こすように思う。 "グロウアップ・デイズ"陽菜さんのエピソードは、日の落ちたオフィス街をお仕事帰りの陽菜さんとほのかさんが歩く、その景色がまずとてもよいのです。

陽菜「イルミネーション……。」
「大人の人がいっぱいだね。」
ほのか「このあたりは、オフィス街みたいだから。」
陽菜「……。」
ほのか「何、考えてるの? さっきから。」
陽菜「わたしがもっと大人になったら、この景色……。どんな風に見えるんだろうなって。」
「今はただ……、わたしなんかがいるの、場違いな景色のように見えて……。」
ほのか「そっか……。」
陽菜「……。」
ほのか「……。」
陽菜「ほのかちゃん……。さっきの収録、すごかったね。」
ほのか「うん。すごかった。」
陽菜「うん。なんていうか……、本当に思い知らされたね。」
ほのか「うん……。」

 陽菜さんとほのかさんって、行き交う言葉が思考がぴったり噛み合う感じの相手とは違うのかなと思うんですね。 別にぎこちない間柄とかでは全然ないんだけど、例えば歩くテンポとか視線の向け方とかが結構違う、っていうか。 実際ここでは、陽菜さんの言葉のゆっくりと噛みしめるようなトーンと、 ほのかさんの言葉の遠くを見ながら思いを巡らせるようなトーンとが、交互に行き来している。

 煌めくような格好いいものに触れた時の浮足立つような気持ちは、焦りと呼べば苦いようだし、憧れと呼べば甘いもののようだ。 揺れてざわめくその気持ちは、陽菜さんとほのかさんという異なる二人の目を通して見るとき、なおさらどれとも判じがたく感じられる。

ほのか「……。」
「あのさ、陽菜。」
「焦る必要はなくて、一歩一歩、成長していけばいいんじゃないかな?」
「もちろん、わたしも一緒だよ。それに、舞花や志穂もね。」
陽菜「ほのかちゃん……。」
ほのか「いずれキャリアに恥じない役者に、ならなきゃいけないから。」
「わたしは……、それが一番、難しい事だと思う。」
陽菜「そう……、だよね。」
ほのか「あはは。あ、何だか偉そうなこと言っちゃったね! 同い年なのに。」
陽菜「ううん。全然偉そうなんかじゃない。」
「わたし、ほのかちゃんに出会えて良かったなぁ。」
ほのか「え? 突然、どうしたの?」

 「そう……、だよね。」ここの陽菜さんの声が別に明るくなってるわけじゃないのがよいのですよ。 もとより夢や絆といったキラキラした言葉にさほど重きを置かない人たちだし*1、言葉のやりとりを通して颯然と悩みが晴れるような運びにはなっていない。ほのかさんが言っているのは、ある意味では陽菜さんと同じ、やっぱり大先輩は遠いね、ということなのだから。

 そしてだからこそ。焦りを吹き飛ばしてくれるからとか、進むべき道を教えてくれるからとかじゃなくて、 ただほのかちゃんに出会えて良かったなぁっていう気持ちが自然に胸を埋める。 細やかで、それでいてしつこさのない、本作らしい素敵な気持ちの拾い上げかたです。

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©Liber Entertainment Inc.

 しみじみ、ぐっと来る開花イラストなんですよね。 ローファーの先に視線を向けて、ちょっと大またになった陽菜さんの歩き方とか、少し眉の下がった表情とか、 ほのかさんとの距離とか、背の高いソリッドな街の景色とかが、どれもこれも眩しくて魅力的なのである。

*1:彼女達はアイドルじゃなくて声優なのである。

ココロが繋ぐ恋標(3)

洸希「昔はどんなゲームやってたっけ……?」
日向「一番多かったのは、飛んだり跳ねたりして、敵をやっつけるゲームかな」
洸希「やっぱり、一緒にやるとなるとアクション系かぁ……」
「てか、ヒナ姉は意外と上手かったよな?」
日向「コウ君ほどじゃないと思うけど、普通には遊べてたと思うよ」
洸希「……いや、そうだ、思い出した。俺が半泣きでコントローラーを投げ出したステージ、ヒナ姉が代わりにクリアしてくれたんだ……なんか凍ってて、ツルツルすべるやつ」
日向「あ、うん、あったね。でもあれは、相性が良かったんだよ」
洸希「そうだな……ヒナ姉はひとつずつ慎重に進めて……俺はせっかちだから適当にやっていつも失敗して……」

 この辺のゲームに関するお話とか、しみじみ好きなんですよ。 子供の頃、日向さん自身はゲームはそんなにやる方じゃなかったけど、洸希さんがクリアできなかったステージを代わりにクリアしてくれたことがあった、っていう思い出話。

 人のやってるゲームを横で見てるだけでもなんだかんだ覚えるもんだよねとも思うし、 日向さんは昔からずっとカッコいいお姉ちゃんだったんだなあという気持ちもあるし、 つるつる滑るステージって嫌だよねーみたいな変な納得感もあったりして。 んで、その場にはきっとココロさんも居たんだろう。


ココロ「あぁー! コウキが食べられちゃう!」
洸希「あ、やばい! しぬしぬしぬ!」
日向「えいっ!」
ココロ「はわー! 尻尾、ちょぱーん!」
洸希「ナイス、ヒナ姉。あ、足引きずってる。罠、罠……」
日向「コレかな?」
ココロ「ビリビリー! って、してる!」
洸希「よし、あとは眠らせて……」
ココロ「あ、恐竜さん寝ちゃった!」

 だから、いま三人が一緒にゲームを遊ぶ姿が見ててとても楽しかったです。

 ココロさんはコントローラに触れることができないんだけど、でも横で見てるのとコントローラ握ってるのとに大した差なんてない。どっちも同じ場所で一緒にゲームを遊んでるってことなので。実況をぜんぶココロさんに任せて、無粋な地の文を挟まずにいてくれるのが有り難いですね。 こういうところでまたちょっと洸希さんのことを好きになるのだし、小波すずさんの声がまた素敵でもあり。


 洸希さんはココロさんが――あるいはココロさんの世界が――傷つき壊れることが嫌だと願っているんだろう。 そしてそれがただのワガママだという洸希さん本人の申告は、確かに間違いではない。

ココロ「コウキの手をひっぱって、二人でたくさんの子とお話して、100人くらいオトモダチを作れるのに、って」
「……そしたらもっと、笑ってくれるかな」
「あの可愛い笑顔で、笑ってくれるかな」
「たくさん、笑ってほしい」
「コウキに、笑ってほしい」

 だけどきっとココロさんもそうなんだよねえ、というのは本作のとてもとても眩しいところです。 ココロさんが洸希さんに笑ってほしいって願う気持ちは、洸希さんのそれとぴったり全て同じではなくて、けれどよく似ている。 真珠さんに笑ってほしいっていうのもそうで、同じではない、けれどよく似ている。

 この場面で「オトモダチ100人」というココロさんの目標に「洸希さんと一緒に」という言葉がくっつくことを初めて知った時、 そうだったのかとはっとする気持ちと、そうだよなあという気持ちが一緒にあった。 ココロさんがそう願っていたことには何も意外なところなんてない、ある種当たり前のことで、でもそこには胸がつまるような、胸を刺すようなものがある。

 それはたとえば、ある日朝焼けの空の色に見入って「その色は二度と生まれることはないかもしれないけど、でもその色は別に特別なものでも不思議なものでもない」と悟るような、そういうものに似ているのかなあ。


ココロが繋ぐ恋標(2)

姫乃「た、卵焼きは、その、挑戦してみたんだけど、全然うまくいかなくて、それは形はまだマシだったんだけど、味が濃すぎて……」
洸希「いやいや、弁当だから、これでいいんだって! やばい、最高すぎる!」
テンションただ上がり1なんですけどー!
姫乃「そ、そんな……だって……私の作る、お弁当なんて……全然……」
日向「……九条さん」
姫乃「は、はいっ!?」
日向「……大丈夫」
「コウ君て、好き嫌いはないし、なにを作っても……どんなに失敗したと思っても、美味しいって食べてくれるから」
「だから、安心して、色んなものを作ってあげてね」
姫乃「う、うん……」
日向「作り慣れないものでも、何度も作れば少しずつ形にはなるから……時間さえかければ、いくらでも上手くなっていくよ」

 お弁当の話で言えば、日向さんのこの言葉は本当に印象深かった。だって一歩間違えたらこの「なにを作っても……どんなに失敗したと思っても」っていう言葉は、洸希さんはちょろいからとか、あるいは美味しくないものを食べさせても問題ないからとか、そんな意味に聞こえかねない。でももちろんそれはそういう意味ではなくて。


 だらだらと野暮な文章になるのは承知で、まずは前提の話をしたい。 最初に注意したいのは、お弁当を作る側が気になるのはそのお弁当が美味しかったかどうかなんだけど、 食べる側がいくら口で美味しいと言ってくれても、それが気遣いから出たお世辞でないという保証はないということだ。

 作る側としては、料理が美味しくなかったらそれを素直に伝えて欲しいという気持ちはあるだろう。 でもいただく側も、相手が心を込めて作ってくれた料理なんだから味覚だけじゃなく心で美味しいって感じるのは止められないし、また仮にちょっとばかり失敗があったって、感謝を込めて美味しいって伝えたくなるのも当然のことだ。日向さんはその気持ちを嬉しく思いつつも甘えたくないから、せめてできる限りの腕と心を込めるのかなと思う。


 でも心を込めるってのはただの比喩で、なにか形あるものを料理に練り込んでるわけじゃない。 受け取る側が作ってくれた人の気持ちを嬉しく思うときに「心が込もってる」と表現するのであって、つまり相手が気持ちを受け取った上で喜んでくれなければ、心を込めたことにはならない。

 だから「心を込める」っていう行為は、 作り手側が心を尽くしてくれてること、受け手側が本当に嬉しく思ってくれていること、 そういう目には見えないし証明もできない相手の気持ちを双方が信じることで成り立つ、一種の共同作業ということになる。 日向さんが「どんなに失敗したと思っても、美味しいって食べてくれるから」という言葉を何恥じることなく口にするためには、 そんな共同作業が洸希さんとの間に成り立っていることを、証明なく、けれど互いに信じていなければならない。



 ――というわけで、長かったけれど、ここまでが前提の話。 その前提を踏まえると、日向さんがこの言葉を姫乃さんに向けていることが、とてもすごいことだと思えるのです。

 先ほども言った通り、この言葉が成り立つためには、お弁当の作り手と受け手の間の一種の共同作業を(それが存在していることを証明できないのを分かった上で、あえて)互いに信じる必要がある。だけど日向さん自身と洸希さんの間のことさえきっと簡単ではないのに、他人である姫乃さんと洸希さんとの間のそれを信じることって、誰にでもできることではないだろう。

 日向さんは姫乃さんに対する好意も共感も持っているだろうけど、それでもやっぱり、姫乃さんのことをさほど深く知っているわけでもない。 だのにこの言葉を口にできるのは、やっぱり、それだけ日向さんが洸希さんのことをよく知って、深く信じてるからという理由が一番大きいんじゃないかな。ずっと傍で見てきたから、ずっと傍にいたから、姫乃さんに対しても、信じていいんだよとも、信じてくれるはずだよとも言い切れる……一見当たり前のことみたいに見えるかも知れないけれど、でもそれは本当に、すごく特別なことだ。日向さんが身勝手に相手を信じるタイプのひとではないからこそ、なおのこと。


 ところでその後洸希さんと姫乃さんの間にあった成り行きは、いやいや日向さん全部見通してたようにしか見えないんですが2って思わず笑っちゃったくらいなものでした。 洸希さんが甘く優しいイケメン台詞とかじゃなくて「ちょっとムカついたから」なんて言っちゃうとこも、まさにまさにといったところ。洸希さんはたしかに日向さんの言う通りの、素敵な男の子なのです。


  1. 原文ママ

  2. いや別に料理の話というわけではないんだけど。