まじかりっく⇔スカイハイ

 隼人さんとゆりかさんは胸キュン幼馴染エピソードの宝庫ですね。

"ゆりか「だって……はーちゃんが、長い方が似合ってるって……」
(…)
隼人「サラサラなのに柔らかくて……好きなんだよ。このさわり心地」
「だから、長い方がいいって言ったんだ。その分寝ぐせが付きやすいんだろうけど」
ゆりか「ずいぶんと利己的な理由だったんだね」
隼人「利己的とか難しく言わないでください」
ゆりか「じゃあ、自己中だ」
隼人「どっちでもいいわ。いずれにせよ、俺が俺のために、軽い気持ちで言ったようんなもんだ」
「けどな、やっぱり言ってよかったと思ってるよ。今じゃ、髪の短いゆりかなんか想像できないからな」
ゆりか「まあそういう事にしといてあげるね」
「私もね、髪を長くしたおかげで早起きできるようになったし」
隼人「そうだったの?」
ゆりか「だってこのままじゃ表に出れないもん……慣れって偉大だよね」
それが早起きの習慣につながったってなら、俺も早起き出来そうなもんだけどな。
隼人「うっし……あらかた片付いてきたな。これ終わったら、朝飯食いに行こうぜ」
ゆりか「うん……その前に着替えとお化粧するけど」
隼人「あ、そっか。んじゃ、廊下で待ってるわ」"

 別にこう、相手のためを思ってしたこととか好き好き大好きとかそういうのばかりじゃない、ふとしたことが、思い返してみるとお互いの現在とか習慣とかに深く根付いている――そういうものとしてゆりかさんの髪の長さが語られるのが、実にらぶらぶ度高いです。


"隼人「それで、何するつもりなんだ?」
ゆりか「恋人宣言! ここでやろう!」
隼人「こっ、恋人宣言……!? 朝の話、覚えてたのか……?」
ゆりか「ここで、みんなに聞いてもらおうよ!」
ここで聞いてもらおうと言われても……地上は足元のはるか彼方だ。
隼人「ここから叫んでも聞こえないんじゃ……」
ゆりか「空に、だよ。はーちゃんの大切な空に聞いてもらいたいの」
そしてゆりかは、空に向かって語りかけた。
「私、大好きなはーちゃんの恋人になったよ!」
…………。
一瞬きょとんとしてしまった。
目の前のゆりかは、本当に空に向かって、目の前に広がる大空に向かって、大声で語りかけている。
「はーちゃんがそばにいてくれるから、私は前に進んで行ける!」
「飛べない私が、空に届いたんだよ!」
「ぜんぶ、ぜんぶ、はーちゃんがいてくれたからなの!」
「私の好きな人って、すごいでしょーーーー!!」"

 でもって、北見六花最強!なのである。ここがもう、ほんと最高でした。
 少し細くて、けれど強い澄んだ声が、どこまで広がる水色の空に広がっていく。多分少しばかり隼人さんを置いてけぼりにした、幸福でちょっと重い女の子の声だ。ほんとこれは必聴です。

 空は高く広く、隼人さんを魅了する。飛べないゆりかさんはそれが妬けたのだし、でもそんなこと言ったって隼人さんの傍にはずっとゆりかさんが幼馴染として居たわけだし、やっぱり隼人さんにはゆりかさんが初恋の相手だったし。
 隼人さんとゆりかさんは、別に何もかも通じ合ってるわけでもないし、分かり合ってるわけじゃない。でも二人はなんだかんだでお互いがすごく大切な幼馴染で、それは昔の記憶が一部なくたってそうで、別段何もかもわかり合ってるわけじゃなくても、恋でもそうでなくても、それとは関係なく互いを大切にしてるのが、共通ルートからしてよーっっく分かるようになってるのね。
 でさ、ここが大事なのだけれども――その距離感って、互いだけを見て、二人だけの世界に入り込むようなものとは違うんだと思うので。この時ゆりかさんは、隼人さんに語りかけてるわけじゃなくて、空に対して語りかけている。隼人さんとゆりかさんの間に閉じた完全性みたいなものはなくて、その代わり、空に向かってどこまでも伸びてゆく声がある。それはこう、すごく素敵なことなんだよ。


"隼人「どうした?」
ゆりか「いまちょっとだけ、観覧車に乗ってみたいなって……」
隼人「おおっ! ゆりか、高所恐怖症、治ってきたのか!?」
ゆりか「治ってるかどうかは、私にも、よくわからない」
「でも、できるなら、はーちゃんともっといろんなことするために、もっと高いところに行けるようになりたい」"

 ここもほんと良いなーと思います。高所恐怖症が治るっていうのは『観覧車に乗れるようになる』ことじゃなくて、『観覧車に乗ってみたいと感じる』ようになるということだ、というとこ。地味ながらとても素敵。



 隼人さんのゆりかさんへのプレゼントのロマンチックぶりにもやられたし、サライラさんと隼人さんの楽しげな相棒ぶりも大好きだし、シャルルルさんルートの、世界樹のお話に相応しい、世界からの祝福に満ちたすっ惚けた成り行きもとても良かった。そういえば(超々今更だけど)Whirlpool+大三元氏の最後の作品だったんだなあ……。

おかえりっ! 〜夕凪色の恋物語〜

 発売当時、たしか雑誌かなんかで見かけたのかなあ、認識はしてた気がするのだけれど(それ自体うろ覚えですが/別の作品と勘違いしてても驚かない)、その時はあまり関心は持ってなかったのよね。だいぶ後になってから志茂文彦氏がシナリオ書いてると知って興味を抱いた作品で、ようやくプレイできました。

"渚「それを見て、お兄ちゃんが、私を海につきとばしてくれたの」
「おかげで私は全身びしょ濡れ。泥で汚れたのはうやむやになっちゃった」"
"渚「私、その時、小さかったから、なんでお兄ちゃんがあんな事したのかわかんなかったんだけど」
「大きくなって思い出して、やっとわかったの。お兄ちゃんが私を助けてくれたんだって」
「でもその頃は、お兄ちゃんはとっくに引っ越した後だったけどね」
「いつか、お礼言おうと思ってたんだ。あの時の事」"

 思い出の中で、ああそうだったのかなと気付いたことは、けれどいまはもう遠い話になっている。それは、後悔、というのともまた少し違う想いだ。
 洋平さんの行動の意味に、彼が居なくなった後で気付くとき、渚さんと洋平さんの間のやり取りは、(渚さんにとってだけ)閉じられることのないままに投げ出されている。そういう、かたちを得なかった想い、行き場をなくしたように見える想いは、どうにももどかしく、後ろめたいものとして胸に残るものだと思われる。
 実際、お兄ちゃんのしたことは、善意に基づいたものではあっても、子供っぽいことではあってね、きっとその時に綺麗に閉じられていたやり取りならば、そう印象に残ることでもなかったかもしれない。洋平さんの居ない十年の間に、渚さんがこういう形で思い出した/気づいたからこそ、それはどこか忘れがたい、特別な記憶になったのだろうと思う。


"友達「洋平、早くこいってば!」
洋平「う、うん。でも……」
友達「おれたちだけで行っちゃうぞ!」
洋平「い、行くよ。今いく!」
渚「お兄ちゃん、まってよぉ! お兄ちゃん!」
「お兄ちゃあん……」
…………。
妙な事思い出しちまったなあ。
……薄情なガキだったんだな、おれ。
次の日、ちゃんと遊んでやったんだろうか。"

"洋平「おまえにも、そんな思い出があるのか?」
渚「あるよ。緑と遊ぶ約束破って、友だちと遊びに出かけちゃったりとか」
洋平「ああ……」
渚「あの子はとっくに忘れてるだろうけど」
「私は今でもおぼえてるんだ。お姉ちゃんの嘘つきー、って泣きながら追いかけてくる顔」"

 なるほど洋平さんと渚さんは兄と妹だ*1が、同時に兄姉仲間でもある。

 実際、ああ悪いことしたなあとか、謝りたいなと思ったりとか、お礼を言いたかったりとか、ふと思い出す時間のかけらの中に、そういうのはいくらでもあろう。いつでも正しく、他人に優しく誠実である、なんてことはできやしない。
 どうあれ過ぎ去ったことだし、些細なことでもあるけれど、過ぎ去ったものだからこそ謝る先のないこと、些細だからこそ行き場のない罪悪感は、それだからこその胸苦しさでもある。洋平さんも渚さんも、感じやすくてまじめな人だから、なおのことで。
 そんなときに、同じような思い出を二人ともが持ってるのだと思えるのは、それはなんかこう、救いと表現するのも違うだろうが、どこか助けられるような心持ちになることではあるだろう。丘の上から海を眺めながら、つらつら語りあうのは、綺麗に閉じられなかった気持ちたちを、なにか供養しているような風情もある。


"洋平「実はまだ迷ってるんだ」
渚「そうなの?」
洋平「そもそも教育大に入ったのも、成り行きみたいなもんだし」
「その流れで、いつの間にか教師の見習いになったんだから」
渚「でも、先生になろうか、とは思ってるんでしょ」
洋平「うん。実際に子どもたちを教えてみて、やりがいも楽しさも感じるしな」
「でも、それだけでできる事じゃないだろ。責任の重い仕事だからな」"

"渚「でもね、なんかホッとしたんだ」
「お兄ちゃんも、いろんな事、真剣に考えたり悩んだりしてるんだなあって思ったら」"

"渚「私……」
渚は、ふと遠い目になると、窓の外に目を向け、
小さく呟くように言った。
「私は、どんな大人になるんだろう……」
洋平「渚……?」"

 そんな渚さんのこの言葉を聞いたときには、もう、もう、もう、としか言えなかったですよ。
 「進路」という言葉と、「どんな大人に」という言葉は、似てはいても、だいぶ違うことばだ。お兄ちゃんと進路の話してた渚さんが、ぽつりと後者の言葉を零してしまうのが、何とも言えなくてね。
 何者であるかではなく、何を為すかでもなく、もっと抽象的で曖昧な、なんとかな人とか、なんとかな大人とか、そういう言葉でなければ触れられない気持ちっていうのは確かに存在している。

 たとえば渚さんが家族や島のことといった大切だと思うものを大切にしたいとかと願っていたとして、その"大切にする"っていう曖昧な言葉は、いったい何を指しているのか。「大切にすることとは、嘘をついたり騙したりしないことだ」なんて試しに具体化してみたりしても、世の中には思いやり故の嘘だってあるし、家族のために他人を騙すなんてこともあるかもしれないし。いつだって具体には例外がある。
 だから、そういう曖昧な思いや言葉を抱えてしまうことは、もちろんある種の稚さや若さっていう面はあるのだろうけれど、どうしたってそうあらざるを得ないような、ひたむきで切実なものであるので。
 そういう気持ちを自然にさらりとすくい上げる、いやはや、さすがの手つきでした。

*1:未読者の方向けにいちおう注釈しておくと、特に血の繋がりはないし義兄妹とかでもない

ワガママハイスペック

"現国教師「みなさんお静かに。あまり騒ぐと他のクラスの迷惑になりますからね」
ぱんぱんと手を叩いて、先生が浮ついた空気を引き締めにかかる。
それを合図にさっと静かになる辺り、このクラスの連中はだいぶ真面目だ。
そして、先ほど返却されたテストの答え合わせもほどほどに、いつもどおりの授業が始まった。
意識を黒板に1、ネタ帳に9の割合で配分して、さも勉強しているかのようにペンを走らせていく。"

 初回プレイ時、冒頭も冒頭のこの場面、授業の方に1割の意識を配分しつつって言い種でまず驚いたわけです。その時にとったメモに曰く、"社会性高いな! どう振る舞っておくべきか、というTPOを割と真面目に守るのなー。"
 高校の授業ぐらいは、と言うのもナンだけれども、トラブルのせいで緊急の作業がある時くらい、多少授業を聞き流してしまっても悪くはないとは思うのだけれど。でもそういう時でも幸樹さんは、何だかんだでちゃんと黒板にも意識配分をする人らしいのである。それも別に、ことさらの分別や理屈に基づいて敢えてそうしているというよりは、単に板についた自然な振る舞いとしてそうしているように思える。一種の礼儀正しさ、とでも言うのかなあ。

"かおるこ「――そうだよ」
質問する前に、聞かなくてもわかるとばかりに首を縦に振る会長。
ってことはやっぱり……。
「私がしかくん。幸樹くんの……ううん、いもさらだ先生のパートナーって言えばいいのかな」
「いつもお世話になってます、いもさらだ先生」"

 そんで相方のかおるこさんも、超がつくほど真っ当というか、社会性が高いわけです。この言い直しをする所については、おおう、と思ったところ。それは確かにその通り、しかくん先生はいもさらだ先生のパートナーではあっても、幸樹くんのパートナーではない。ないが、そこでわざわざ"正しい言い方"に言い直す辺りが、かおるこさんの真面目さ、礼儀正しさの発露であって。


 じっさい、二人の間柄においては、高校生の男の子女の子同士であるルールよりも前に、お仕事上のパートナー同士のルールが先に来がちなところはある。
 といっても別によそよそしい距離感っていうわけじゃない。お互いにちゃんとした信頼があるから、遠慮ばかりしなくちゃいけないわけじゃない。けれども、その信頼関係がある理由もまた、二人が仕事上のパートナーとして積み重ねてきた時間のせいでもあるから、実際の振る舞いが一種のpolitenessをそれなりに含んだものであるのもまた、当たり前のことだ。
 表面的にはどうあれ、幸樹さんも、かおるこさんも、遠慮をしてないなんてことはない。だからこそ、ワガママ言ってごめんなさい、っていうあの夜の言葉はきっと、そこを敢えて踏み越えてしまっていたかおるこさんの、ずっと続いていた不安の現れであっただろう。

"幸樹「ただここまでの全ての言動が計算尽くだったら策士キャラですけど、会長の場合ただの天然だろうしなあ」
かおるこ「すごいよ幸樹くん。こんなにまっすぐ目を見て人格に文句をつけられたことって私はじめて」
感心された。もちろん皮肉だろう。お互い冗談の上で。
「というか、もし本当に策士キャラだったら、前提として私が幸樹くんのこと好きになってなきゃいけないでしょ」
「だから間違い。不正解。私は天然です」
「あ、違う違う天然でもないよっ」
さすがに天然モノのレッテルは嫌だったのか訂正を入れる会長。
とはいえそうだ、計算じゃないんだよ会長は。"

 この辺りとか、なんともくすぐったいです。
 天然だよ、天然じゃないよ、っていうかおるこさんの言いようは、なんか分かる気がするのですよ。かおるこさんは、基本的には計算じゃなく素直に幸樹さんに接している――そして同時に、そう接したいと思ってもいる。でもかおるこさんがその自分の中にある気持ちを、いつでも何も考えず幸樹さんにぶつけてるわけじゃないのも確かな事実だろう。だから結果としてかおるこさんは、天然でいたいような、天然ではないような、そんな"自分"になってしまうところがあるのかなと思っていて。
 幸樹さんも、かおるこさんが遠慮や気遣いができる人であって天然で誰にでも馴れ馴れしい人っていうわけじゃないこと、けれど計算尽くで何かをコントロールしようとする人ではないこと、そしてまた恋愛感情を向けられているわけではないことも分かっていて、だからこそ彼女の近すぎるように思える距離感に疑問を抱いてもいる。それはある種、信頼しているがゆえに分からない、ということであって。

"かおるこ「だってこんな経験めったにできないよ! SAY! わー!」
幸樹「わ、わー!」
かおるこ「じゃあ、明日に向かって走ろう! わーーー!」"

 そんなかおるこさんの、目をくの字(こういうの→ >ワ<)にしてる立ち絵がすごく好きなんですよね。
 あんな風に気遣いや遠慮を放り捨てはしないままに、わー、と叫びを上げて駆け出すことができるのは、どうにも彼女一流の独特なもので、ひどく魅力的だよなあと思う。そんなことなかなか出来ることではなくて、少なくとも幸樹さん一人では無理なことには違いがない。眩しい人なんです。


"だって俺を見る鷹司さんの視線は……いつも通り、何を考えているのかわからなかったけれど、
かおるこ「私は……」
千歳「…………」
会長を見守る鷹司さんの目は、やっぱり優しく感じたから。"

 対する幸樹さんはかおるこさんよりずっと意地っ張りというか押し込めがちで、ちょっとした信頼できない語り手の一種だろうこれ、というレベルでちょいちょい自分の気持ちを隠しているように思われる。そんな幸樹さんの、鷹司さんへの信頼ぶりも大好きなんですよね。
 幸樹さんは何というのかな、"大人としての振る舞い"を、ある程度鷹司さんに任せてもいいように感じている、ように見える。鷹司さんがちゃんと突っ込んでくれるから、幸樹さんも子供っぽく暴走できるっていうかさ。割と幸樹さんが明確にボケに回ってるのって鷹司さん相手くらいですよね。逆にかおるこさんに対しては、幸樹さんはまだまだどうにも格好をつけているところがあるから、だからかおるこさんへのあの問いかけが零れ落ちたのも、きっと鷹司さんが一緒にいてくれたからこそだったのじゃないかなあ、とも思っていて。
 幸樹さんにとっての鷹司さんは、月並みな喩えではあるけれども、歳の離れた姉みたいなものでもあるものかな。この三人が会議室で一緒にいるとこ、ほんと好きですね。柔らかさと硬さの入り混じった、独特の距離があって。

弥生志郎"ドリーミー・ドリーマー"

 大掃除してたら買った覚えのないラノベが出てきたのだけれど、読んでみたらとても面白くて、勢いのまま感想を書いた次第。

"「それは分からないけど……多分、私が現実で願ったからだと思う。こんな世界になればいいって。現実にいる私は自分自身が大嫌いだった。生まれ変わりたいって、普通の女の子になりたいって思っていたから。(…)」"(176p)

 たとえば夢のような世界といったとき、それは夜見る夢のことを言うのか、それとも昼の夢のことを言うのか、あるいは単にfantasticというほどの意味なのか。
 彼女自身は、この世界にはきっと自分の願望が反映されているのだ、と語るのだけれど、ギャルゲー"ドリーミー・ドリーマー"を下敷きにしたかのような世界で、ループする日々を経験した樹くんが見てきたもののことを考えれば、それは多分、そこまで単純なものでもない。
 そして、彼女の「現実」へと向かった樹くんがそのことを知るところが、ほんと好きなのね。


 わけもなく自分を好きでいてくれる(ように見える)友人は、嬉しくともどこか居心地悪くもある。
取り返しの付かない罪は、取り返しの付かないものだからこそ何をすることもできない。
苦痛の中で、ためらい傷のように死のことを思い、けれど踏み出しきれない。*1

 樹くんが感じてきたそうしたことごとには、彼女の、彼女を取り巻く世界への、夜見る夢のように無意識めいた、愛情や後悔や願望がこめられていた。二週間ごとにループを繰り返す書割めいた世界に、優しく触れてくる想いも、ノイズのように入り込む異様で痛々しい出来事達も、どちらもそれゆえのものだったのだと。
 彼女の抱えていた、彼女を取り巻く人々へのその想いを、樹くんがいまや少しだけではあるけれども共有していたというこの不思議な成り行きは、実際fantasticな、「夢のような」ことであったよね。

 言葉よりも饒舌な、切実な夢のお話でしたん。

由無し事

  • 些事ではあるけれども、とある人物について、容姿が美しいとは一言も語られない辺り、生真面目だなあと思う所。別に、もしそうしなかったからといってどうだという訳じゃないのだけれど。
  • この作家さんは本作がデビュー作らしいのだけれど、ぐぐってみたらちゃんと刊行が続いていて、今年八月にもちゃんと新刊出してた模様。非常に嬉しい。

*1:樹くんは欄干から身を投げるけれど、そこで、どうせループするという意識が無かったかといえば、そうではないだろうとは思う。"「死んだらどうなるんだろうって、何度も考えたことがあるよ。でも怖くてそんなこと出来なかった。生きることも怖いくせに、死ぬことだって怖いの」(242p)"こんな風に、空想しつつも踏み出しきれない、どこか非現実的な「死」のイメージを描き出している辺りも、この作品の特色の一つかな。

好きななろう小説いろいろ

 なんとなく、好きななろう(とノクタ)小説の話をしてみようかと思います。読者が増えればエタらないかどうかはともかく、エタる確率も少しは減るのではなかろうか、とかそんなことを思いながらご紹介。いや別に、エタりそうな作品ばっか紹介するわけじゃなくて、完結してるやつも含まれてますが。

@you"Innocent World Online"

http://ncode.syosetu.com/n8335bk/
 MMORPGで無双する話と思わせて、だんだん恋愛話がメインになっていく作品。ちょっと構成がエロゲっぽかったりする。
 クリスマスのオフ会にて、女の子五人と男の子一人が入ってる炬燵(なお女の子四人は寝落ち中)で、クノさんの思考がぐるぐると回ってしまった挙句、二人のひどく不器用な愁嘆場が始まってしまう辺り、大変いいよねと思います。彼らは第一義的にはまずIWOというゲームをプレイする友人同士なのだけれども、そこにクノさんエリザさんフレイさんのラブめいたことがちょこちょこと挟まれたとき、距離感がよく分からなくなっていくこの感じが、悩ましくも心をくすぐるところ。

"「……言いたいことはあるかしら?」
「んー……。なんかエリザと居ると、自制心的なものが剥がれ落ちてくる気がするんだよな。警戒心その他もろもろと一緒に」
「……なにか言い返してやりたいけれど、残念ながら、私も同じなのよね……」"
(74話より)

 すばらです。あと初詣のところとかも大好きだなあ、年明けの空気感が鮮やか。
 ところで、幾つか、なんとなしとらハを髣髴とさせる要素が見られるのもちょっと面白いところ。風に負けないハートのかたち、とか口ずさみたくなる。

弘松涼"異世界でやきたてパン屋を始めたらアホな子ばかりやってきて困っています(あほパン)"

http://ncode.syosetu.com/n2086cp/

"そんな千都留ちゃんは、寂しそうに川を眺めています。
 袋からコロッケパンを取り出して、大切そうに食べている。
 目から涙がポロリと落ちた。"
(1話より)

 異世界転移ものをベースにした、どこか民話、フォークロアめいた*1構造の中に、切実なイノセンスを描いてみせる。
 民話が(えらい雑な言い方を勘弁してもらえるならば)無意識的なるものを描くものだとすると、実際異世界転移ものっていうのは、そういうものを描くために優れたモチーフなのかなと思わなくもない、とかとかそういう話はさておいても、兎にも角にも胸に迫る作品だと思う。絵本化とかするととても魅力的なものになるんじゃないかと思うのだけれど、さすがに無理筋である……。
 最近知ったばかりの作家さんで他の作品はほとんど読めていないのだけれど、多作な人のようなので、これから読み進めていきたい。

どみんみん"常識改変催眠"

http://novel18.syosetu.com/n1702cj/
 どみんみん先生の精確さはほんと尊敬しております。
 もともと楽園とは、「自ら」や「他人」を定める道理の外にしかないのだけれど、道理を投げ捨てた先にあるのは、やはり他の道理でしか無い。だから、信仰、共依存、飛び降り自殺――自らを投げ捨てて、何かと向き合うことを捨てて、なにか「しかない」世界に至ったその一瞬だけが、楽園を幻視することを許される瞬間だ、ということになる。
 レオにーさまは花音さんに催眠によってズラされ続けながら、けれどそれに気づくこと無く、のらりくらりとマイペースを貫く。そこにコミュニケーションが発生してしまえば、そこには道理が生まれてしまう。「ぼく」と「わたし」が生まれてしまう。だから、その楽園が生まれる瞬間は、ただひたすらに遅延され続けるしかない。

"地味な事務仕事を朝は日の出前から、夜は深夜まで晩まで。体か頭ががどうにかなりそうな毎日を送って……
【大丈夫だよ、レオ兄様。花音が守ってあげる】
 ……いや、違った。
 僕の仕事はアイドル事務所のマネージャーだ。なんで建設事務所と勘違いしたんだろう。ぜんぜん類似点がないのに。"
(2話より)

 因果や道理の破壊されたゆるゆるとした快楽に満ちた世界で、未だ訪れないその「瞬間」を予期しつつも、モラトリアムに浸ってそれを回避し続ける、脳がぐるぐるするような時間を描き出す。でもその「瞬間」は、ついには訪れざるを得ないわけで――いや、良かったです。誠実だよね。

秋月アスカ"道果ての向こうの光"

http://ncode.syosetu.com/n0364cx/
 厳密にはなろう作品というわけではないのだけれども、なろうで知ったので。
 取り返しの付かない罪は既に犯されてしまっているのだし、ユーナさんは既に死んでこの世には亡い存在だ*2。それでも主人公の"彼女"は、あくまで聖女シェリスティアーナとして、彼女の為したことへの責任をその身に引き受けてあらねばならない。
 取り返しの付かないことに対して、「正しく」責任を取ることなどできるものではないわけで、そういう"どうしようもなさ"に向き合う時の誠実さとは、多分、尋常な倫理とは少しずれた所にあるものだろうと思う。

"「君の、本当の名前は?」
 優しく問いかけられて、シェリアはゆっくりと瞳を閉じた。
 大きく息を吸い込む。夜の少ししめった空気が胸いっぱいに広がっていく。
 もう一度瞳を開いてそっと空を見上げると、変わらず星空は美しかった。
「――ユーナ」
 懐かしい名前。
 あの空の星のように遠い名前。"
(51話より)

 遠い、遠い――懐かしい名前。そうだよなあ。それはもう終わってしまったものなのだから、それはそうだ。そういう風に、凄みさえ感じられるようなストイックな生真面目さをひたすら貫くからこそ、59話の、"彼女自身の希いの言葉"が鮮やかに映えるのだなあと。

かつ"時空魔法で異世界と地球を行ったり来たり"

http://ncode.syosetu.com/n6451cr/

"「子供の頃の生活によって、授かるか授からないかが決まるの?」
「はい、毎日水に触れる【漁師】さんは【水の魔法】、毎日土に触れる【農家】さんは【土の魔法】、野外で活動して風にあたることの多い【猟師】さんは【風の魔法】を授かることが多いらしいです」
「はいはい! 私、毎日お風呂に入ってるよ!」
「毎日お風呂に入られていたんですか。それでしたら、きっと【水の魔法】を授かると思います」
「やったー!」"
(16話より)

 この喜んでる子、十八歳の大学生女子です。作者は一種の天才だと思う。なぜか札幌に一人旅してたり、なぜかエジプトで旅行してたり、あと焼き肉してるところとかもとても好きですね。いちいち何でも楽しそうなのが魅力的。

ぱてぃる"俺、異世界で旅スロします。"

http://ncode.syosetu.com/n8964cn/

"異常に速い速度で回転を始めるスロット台、これは打ち手である自分の魔力量が膨大な為にどうしても高速回転をしてしまうのである。しかし、この世界の人は基本スペックが高いおかげか、高速回転するリールを何とか目で追う事が出来るのである。嬉々として七十ゲーム程ユアジャグを回すも、この日は一度もCOCOランプが光る事は無かった。
 こうして俺は旅スロデビューを果たすのだった。"
(1話より)

 パチスロの世界を知らない人間には一から十まで何言ってるか分からないのだが、分からないのに面白いのが凄い。いや別に人間模様とかアツいバトルが面白い!とかそんなんじゃなくて、最初から最後までパチスロの話しかしてないし、それが1ミリたりとも分からないのに面白いのである。
 他にギャンブルがモチーフの作品としては"異世界転生してカジノのオーナーになったが、世界を救うはずの女勇者がギャンブル中毒になってしまった……"とかも好きなんだけど、なろうのギャンブル作品には魔物が潜んでいるのではなかろうかと。


 他にも色々好きな作品はあるのだけれども、ちょっと書き疲れたのでこの辺で。

*1:別作品の"俺のアイテムボックスに、ビッチな女の子をぶち込んでみました"の冒頭とか、丸っきりそんな感じである

*2:なお、書籍版はこのあたりが全然違う捉え方になっていて、名前も粗筋も同じながら、完全に別作品になっています。なかなか複雑。

花色ヘプタグラム(3)

"久也「なら……俺と付き合ってくれる……?」
真乎「それは待ってくれ。少しだけ……あと5分だけ時間をくれ」
久也「……5分でいいの?」
真乎「それだけあれば十分だ。真面目に考えるから待ってくれ」"

 久也さんは真乎先輩の事情を知ってなお、ただ気持ちの求めるところを素直に口に出すし、真乎先輩も結局はそれを、自らの気持ちの求めるままに受け止める。
 ただそれでも、そのとき「五分だけ」考えるところがきっと真乎先輩の真乎先輩たる部分でもある。そこでは色々の思いが巡っているのだろうけれども、でも何もかもを整理するには、五分は短すぎる。といってどれだけ時間があれば十分なのかといえば、結局のところ数百年でも十分とは言えない、というのが真実でもあろう。だから結局その五分っていうのは、冷静に、どれが最終的にもっともよい結果となるのかを判断するためにある時間ではなくて、むしろ、真乎先輩にも久也さんを望む気持ちがあることを自分自身でも想った時に、それでよいのか、とその気持ちに身を任せる肚をくくるためにあったのだろう。
 そんな風に五分考える時間を必要とするかしないのかという久也さんと真乎先輩の違いは、たとえ同じ気持ちを互いに抱いていたとしてもなお大きい、必然的に二人の間に横たわる違いだ。そして、それでも二人は恋人同士になることを決めたのだった。

"私、藤咲真乎はずっと忘れない。
今までの日々……
久也と共に生きるこれからの日々……
そして、今日という日を忘れない。
愛する久也と生きることを、決めた日だから……"

 エンドロールに置かれたこの独白は印象深かった。今までの日々もこれからの日々も今日のことも忘れないとは、どうにも転倒した言い方だ。普通は、「久也さんと過ごす未来の日々において」過去を、今を忘れない、という言い方になるものじゃないかと思う。ではそういう言い方をしないとして、ではいつの時間を生きる真乎さんが「忘れない」のか。
 実際のところ、久也さんの真摯だけれども蛮勇じみた「一人にしない」という言いぶんを、真乎先輩は受け入れつつも、信じているのとは違うように思われる*1。とすれば結局、この久也さんに聞かれないエンドロールという場所で「忘れない」と語っているのは、過去でもいまでも未来でもない"永遠"という時間を生き未来を追憶する真乎さんの意識で、それは久也さんの傍でいまを生きることを決めた真乎さんとは違う、二つに引き裂かれた真乎さんの意識のかたわれなのではないか。そしてその分裂は、解消されるようなことはなく、二つながらありつづけるのではないかと。

"真乎「あ、絶対はあるな……」
「私は幸せ……これは絶対だな。だって大好きな人と一緒にいるんだから」"

 とはいえそれでも、それはやはり絶対の真実なのだなあ。


 百年のとき、という、なんだか夢十夜の第一夜のオマージュかと思うような*2想いの形もそうだけれども、ふくよかで地上的なものと地続きに、そういう手の届かないなにかを描くのだよなあ。

*1:というか久也さんがそれを言い出した時の真乎さんの反応って、声のトーンはともかく、字面だけ見ると場にそぐわない冷静なツッコミすぎて吹き出しかけた

*2:実際のところ、参照元なのかどうか。VFBで言及されてたりするのかなあ?

花色ヘプタグラム(2)

"久也「結局、何も思い浮かばなかった」
「玉美って何が欲しいのか、俺にはわからんかった。昔っから無欲だしなぁ」
玉美「……ふふっ、そうかもね。久也には分からないかも」
久也「ん?」
玉美「だって……私が欲しいものって、もうあるんだもん」
「私、久也の前だと、不満なんてひとつも無いんだから」
久也「どういうこと?」
玉美「私が欲しいのは……あなただから」
久也「…………」
玉美「久也が欲しいから。いてくれると欲しいものなんてなくなっちゃう。だから久也には分からないんだよ」"
(誕生日の贈り物について)

 こういうことを玉美さんは本気で、そして素面で言っているのだよねと思う。素面でっていうのは、何というのかな、ドーパミンどばどば、みたいな多幸感に包まれてのことではない、静かな気持ちで、ということでさ。
 玉美さんはしっかりしてる人で、別に久也さんが居ないと生きてけない、みたいなこともないんだけどね。でもその心の根っこにはずっと久也さんの後を追っかけてる自分、みたいなものがあって、そういう幼い気持ちを、歪めることもなく心の底に持ち続けているのが彼女の不思議なところでもあり、素敵なところでもあるかなと思われる。そして久也さんは久也さんで、少年の素直さみたいなのを全然失わない、まっすぐで素直で鷹揚でいたずら好きな人であって。
 この二人は、二人でいるとき、何一つ欠けたるところのなかった頃のままの気持ちでいられるから、だからそれ以上何も望む必要がないのだろうか。

"玉美「あ……もしかして……」
露天風呂の前に、貸し切りの札。
書いてあるのは『浪江久也様』。
「……ここまでするんだ」
久也「どうだ、すごいだろう?」
(…)
玉美「それは……いいけど……久也、すっごく楽しんでるね」
久也「玉美は楽しくないのか?」
玉美「んー、そうね……楽しいかな……楽しんでいる久也と一緒にいられるんだから」
久也「む……」
玉美「あ、照れた?」
久也「おう」
玉美「ふふっ、嬉しい。混浴って楽しいね」"

玉美が小首を傾かせて、身体を預けてくる。
「もう幸せすぎて……明日以降、何を望んで生きていけばいいのかな」"

 二人の住んでる温泉旅館で、旅行ごっこをして豪華なお夕飯を頼んだり、露天風呂の貸し切りをして一緒に入ったり――それは非日常とも違うもので、なんとなれば、お父さんお母さんから見守られてのことだからでもあるし、子供の頃にしたことのリフレインだからでもある。むしろ戯れと呼んだ方がしっくり来るそれは、あの頃は冒険の色を帯びていたとしても、多分いまは、もっと静かなものとして感じられるもののだろう。玉美さんが楽しむ理由、久也さんが楽しむ理由、それは言ってみればお互いを楽しませるのが楽しいからなのだろうけれど、その「楽しさ」っていうのは、やっぱり、興奮や熱情とは少し違っていて。
 温泉の熱に包まれて、あの頃抱いていた気持ちをたどるとき、いつかの自分たちと今の自分たちが重なりあうような心持ちになるものかな。望む気持ちも執着も興奮も、全ていつかの自分に明け渡して、というのか――そこには、大人だとか子供だとか、今とか過去だとかのない、ただ無時間的な幸福だけが残るのかもしれない。
 それはつまりは、涅槃、ニルヴァーナだよなあ。花咲く温泉郷の、二人の間にある涅槃。

 こんな文章からだと何も伝わらないかもしれないけれども、かようなものを描き出してしまったこと、いやもうほんと、傑作です。