空色の風琴

"【メナム】なんで・・・・なんで、わたし、海亀さんのことだけ忘れないのかな??
【友哉】は???
【メナム】何か特別のヒミツとか・・・・仕掛けがあるんですか?
【友哉】うーん、特別って・・・・; ああ彡 ひょっとして病気が直り始めたんじゃないかな?
【メナム】えっΣ そーでしょーか???
【友哉】少しづつかもしれないけど、きっと良くなってるんだよ。
【メナム】少しづつ・・・・??
【友哉】昨日と今日は続いてて、あんまり変わりなくても・・・・子供のときより、ちゃんと大きくなってるだろ? そんなふうに少しづつ・・・・な?
【メナム】えと・・・・海亀さんのお話は良くわかる。胸の奥まで届く気がする。なんでだろ?"
(特殊文字は原文通りではないです)

 メナムちゃんは割と友哉さんのおはなし聞いてるよね。でもその「聞いてる」っていうのは、いわゆるのコミュニケーションにおける「聴く」listenっていうのとはちょっと違う。意味の連関から切り離された(メナムちゃんはそういう子だ)おはなしっていうのは、波のさざめきとか空の青さみたいに、hearするものなんだろうと思う。
 そんな風にして聞いた言葉が、いつかどこかで聞いた海亀とつばめのお話に当てはまっているように聞こえたとき、あるいはメナムちゃんの胸の奥に届くように感じられたとき、その言葉はどこかから来たお客様であると同時に、親しみ深くもあるものとしてメナムちゃんの前に現れる。海亀さんという呼び名は、そのありように非常にしっくりはまっているように思う。
 
 メナムちゃんのその「海亀さん」っていうのもそうだし、エイプリルちゃんが風車の各々に「xx号さん」と名前を付けて呼んだりメナムちゃんを「お母さん」と呼んだりするのもそうだけれど、それらは「物語」とはっきり呼んでしまうには論理的でなさすぎる、もっと断片的でふわっとしたものだ。そういうのを、「物語」より柔らかいものということで、試しに「ものがたり」と呼んでみると自分の中では結構しっくり来た部分がある。
 それでさ、例えば「海亀さん」っていう呼び方が友哉さんにとってはピンと来るものではないように、ものがたりは理解されるものじゃないけれど、伝わることは確かに伝わっている。友哉さんはその呼び名を、少なくとも聞いて=hearしているわけだから。それがつまりは、歌を運ぶ風精霊の仕事。
 唐突に鳴り出す挿入歌なんかも、女の子たちが見つけたそうしたものがたりの断片を歌っているようでね。テキストと同時進行で歌が流れるせいもあって、歌詞とかあまり聞いてなかったんだけど、それはそれでいいのかな。ボーカル曲のCDは手元にあるので、後でまたゆっくり聴くつもり。


 そういう風にして聞こえた、hearしたものがたりがそれぞれのひとの胸の奥に起こすものとか、セックスとか、そういうのを描く手つきがすごく良い作品でしたん。

 そういえば胸の奥のルビィの話はしてなかったりしますが、今のとこどうも上手く言葉が見つかっていない感じ。鉱物についてはあまり親しんでないせいでしょうかね。ただ、自分の中ではある種納得が得られてる感じではあるので、あえて言葉を捜したりはしないかも。